させたと言う(注1)。まさに日本という国家の国際的桧舞台へのデビューを飾るべく企図された,国家的一大プロジェクトであったわけである。この折,博覧会事務局の実質的な責任者であった佐野常民の提唱した博覧会参加の目的には,1 )日本の国土の豊かさと優れた伝統技術を海外に紹介し,国威の発揚を図ること,2)各国の出品物から機械技術をはじめとする先進的技術を学ぶこと,3)この機に国内においても博物館を創設し博覧会を催す基礎を整えること,4)国産品の優秀さを広く宣伝し,後日海外の日用品として輸出を増加するためのきっかけをつかむこと,5)各国製品の原価,売価,需要のある品を調査し,今後の貿易の利益となるようにすること,が掲げられている(注2)。本稿のテーマと関わってくるのは,上記目的のうち,主として4)と5)であるが,換言すれば,4)は需要の確保,5)はマーケテイング調査ということになろうか。ともあれ,開国後間もない明治政府が,日本の国際的な認知度を高め,また,国際社会の中で少しでも有利な経済的状況を確保するために貿易を重視し,その市場調査のために,万国博覧会という機会を最大限に利用しようとした様子が窺われる。また,出品内容を選定する過程では,日本側の当初の計画に対し,お雇い外国人ワグネルの,未熟な機械製品より手工的生産技術による作品を中心とするべきである旨の進言が容れられ,方針の修正が為されるという一幕もあったと伝えられ(注3),結果的に,当時の日本人官吏よりも多少なりとも国際的な視野をもっていたワグネルの提言が,その後の日本の活路を開くことになる。さて,各種資料が伝えるウィーン万博後史は以下のとおりである。第一に,ウィーンにおいて出品者たる日本政府の予測を大幅に超えた爆発的な日本ブームが起こり,特に精巧な美術工芸品が注目を集めたことによって世紀末にまで至るジヤボニスムの土壌が形成され,政府内部において伝統的手工芸品が有力な産業として位置づけられたこと。第二に,政府が欧米の技術修得を目的として派遣した伝習生たちによって,多くの分野の最新の科学技術がもたらされ,日本国内の伝統産業の各分野においても,政府主導のかたちで技術革新が進んだこと。第三に,国際的市場における美術工芸品の有用性を重視した政府は,殖産興業の一環として,積極的に工芸品制作の支援と輸出をはかり,官立工場の設立も含めて,欧米の実用や趣味を加味したいわゆる輸出工芸品の増産を奨励したこと。結果論になるが,ウィーン万博への参加は,当初の政府の予測を超えて充分な効果-120-
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