鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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漸く一新面の聞かれんとするは注目するに足るべきものあるべしここでも「客は少数に限られて店に売残る品多き由」と,経営が必ずしも容易でなかった様子も窺われるが,大正初期に,三笠,田中屋などを典型とする画廊経営が短期間でも成立したということに,注文制作によらない売絵,売作品の存在を認めることができる。これは,特定のパトロンを持たない作家にとって恩恵であったにとどまらず,作家を丸抱えし,不見転買いをする程の財力はないまでも,良質な趣味で生活を彩ろうという意欲をもった,多少は余裕をもった人々にとっても大きな魅力であった。しかも美術に関して一定の見識をもった経営者による一定の美的選別を受けた作品は,市民階級の趣味の確立に大きく寄与することになる。これらの店の登場は,美術工芸品を扱う市場が,必ずしも特権階級のものではなくなったことを象徴していると言えよう。そのような自由競争の洗礼を受けつつ産声を上げた創作工芸運動は,夢二の港屋商品が若い女性たちの聞で爆発的に流行し,最新のモードとなったように,中産階級の経済的,趣味的な余裕という背景を無視しては語り得ない。彼らの求めていたものは,成程,前代の趣味と一線を画する性格をもっていたが,目新しさを求める新しい顧客層であったという意味においては,市場が成り立つための需要と供給の成立という根本的な関係は変わっていない。先述の記事に見える「高等遊民」という言葉が,新興勢力の財力の程を典型的に語り尽くしている。逆輸入されたジヤボニズム的な要素を巧拙取り混ぜて取り入れ,往々にして批判の対象とされてきた輸出工芸ではあるが,それまでになかった極めて異質なデザイン的,機能的要素を短期間に積極的に形にしたことは評価されてよい。変化への欲求が余りにも性急であり,また,制作者(図案,製造ともに)が顧客の反応を実感できる距離にいなかったために,意匠として,作品として必ずしも成功しているとは言えないものも含め,一世代の間に,一部の伝統的な工芸の根深い規約を打ち破る,極めて画期的な役割を果たしたことは特筆に値する。そして,用途や需要への本質的な理解を欠いた性急さの結果として技術的な袋小路に入り込んでしまった輸出工芸に対して,次の世代の工芸は,反動としてある種の稚拙さ,素朴さを提示して見せる。このことも,大きな表現の流れから見たとき,決して唐突なこととは言えないだろう。新興階級は,無意識的にか,自分たちの階層を象-125-

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