徴する美のスタイルとして,それまでと違った,しかし適度に洋風化した近代的な,彼らなりの家庭風景に馴染むアンテイミストな工芸を求めたのである。大正期の美術,工芸は,やがて時代の主役たるべき階層を鋭敏にキャッチし,彼らの生活を積極的に演出する姿勢を打ち出した美術品店や画廊の登場によって始まったと考えられる。これは,ある意味で,17世紀のネーデルランドの状況にも似た近代的美術市場の成立と言って差し支えないと思う。明治期の工芸を代表するのは,よくも悪くも,博覧会という大会場に映える,いわば大見栄をきった作品である。ここに個人主義的工芸作家が,より近しい相手に届けようとした大正初期の創作工芸との根本的な違いがあるように思われる。両者は同じラインの上を走っておらず,互いに直接的な交渉をもつこともなかった。ただ,非常に間接的にではあるが,それぞれの世界の中で蓄積され,発酵してきたものが,異空間にスライドするようなかたちで互いに移し替えられるような現象が,ライフスタイルの洋風化という仮面のもとに行われていたような気がする。以上,非常に未消化なままではあるが,明治から大正にかけての工芸について,政府と海外資本によって支えられ,展開した,産業としての輸出工芸と,新興市民階級の台頭を背景とした創作工芸の成立事情の対比から,両者の関連を透かし見ることを試みた。この問題を,より現実性のある説とするためには,ここで万国博覧会と大正初期の美術品店というこ者の対比というかたちをとって行った思考を繋ぐものとして,内国勧業博覧会の果たした役割を考える必要があるだろうし,その他の様々な出品領域を限った博覧会にも目を向けるべきだろう。生産地と作家という制作者の属していた位相の違いも論点となる。点と点を繋ぎながら,工芸作品の需要と支持者層という視点から,近代工芸の流れを再見したとき何が見えてくるのか,現在はまだ,漠然とした期待を示す他はない。また,昨年度中の研究で、は及ばなかったが,それぞれの作品に見られる特色の内に,周辺資料の収集や解析をとおして,購買層の趣味や晴好を色濃く反映している部分を判別する努力を重ねる必要がある。最終的には,個の表現という概念の誕生にいたるまでの,明治から大正期の工芸をとりまき,時代に即した新しい表現への脱皮を促してきた環境の一端を明らかにしたいと考えており,このテーマ研究をより深めてゆくためにも,在外コレクションの調査や国内の資料調査等から具体的なデータを蓄積す126
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