鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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⑨ 宇賀弁才天像研究者:トロント大学大学院博士課程この弁才天の調査研究の目的は経典や尊像によって宇賀弁才天の図像の発展を追究することである。経典と尊像の関係を明らかにし,どこまで尊像は経典の記述にしたがっているかということを論じたいと思う。彫刻と画像の各々について,手の数と持ち物によって宇賀弁才天像を分類して,調査する。日本の弁才天像は次の三種の経典類に基づいている:1 )『金光明経』類:八管弁才天像は『合部金光明経』大嬬天品(T.vol. 16 no. 664, 12 : 1287c25『入管荘厳身』)に現われ,8世紀の『金光明最勝王経』大詩才天女品(T.vol.16 no. 665, 437c 1 -2)に持ち物が記述されている:「常以八菅白荘巌各持弓箭刀梨斧長杵織輪霜索」。奈良時代に,護国経典として信仰された『最勝王経Jの中では弁才天は武器を持ち護法神として崇められこれに基づいて弁才天像が作られるようになった。この時代の弁才天像は東大寺法華堂内に安置されている塑像(立像,高さ219センチ)しか残っていない。『最勝王経Jに説かれるような弁才天像の作品は現在東京芸術大学に所蔵されている鎌倉時代の厨子絵〔図l:立像103.5×62. 7センチ〕である。2)『大日経』類:二骨弁才天像は密教経典『大日経Jと平安時代に伝来しそれに対する一行の『大日経疏』に基づく呈茶羅類の中で描かれている。胎蔵界蔓茶羅の西方に琵琶を弾く菩薩形の坐像として現われ,妙音天とも呼ばれている。鎌倉時代後半頃には,二管全裸弁才天彫像が現われ流行したが,裸の像に服を着せ,手に琵琶が添えられている。こうした琵琶を弾く裸の坐像は神奈川県の鶴岡八幡宮や江の島神社などに所有されている。3)『弁天五部経』類:この鎌倉初期の経典では弁才天と宇賀神は同一視されているが,字賀弁才天像は弁才天の頭の上に宇賀神と鳥居を持つ。宇賀神というのは日本古来の食物神で,老人の頭を持つ白蛇で表わされる。八管宇賀弁才天像が基本だが,一瞥と六管のものもある。ここではこの中の第3)宇賀弁才天像について論じたいと思う。『弁天五部経』というのは日本で著わされた五つの偽経で、あり,『仏説最勝護国字賀キャサリン・ルドピック(CatherineLudvic) 128-

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