< 642 >)における文殊菩薩の印と類似する。なお,対壁の北側にある維摩居士の姿は,第⑤禽像〔図8〕は,頭体を右方に転じて蓮華座上に半蜘扶坐する。髪を結い三面頭飾を付け,現存する八体の像の中で最も華麗な胸飾を付けている。右手は前方に出して第二指と第三指を伸ばし他の三指を念ずる。左手も左大腿上において同様の印を結び,手首に数珠をかけている。本像の手印は対談・会話を意味する場面に多くみられるものであり,敦憧莫高窟第220窟の東壁南側にある維摩経変相図(唐貞観16年後述する第⑤禽像〔図9〕と類似する。第⑥寵像〔図9〕は,他の七体の菩薩像とは異なり,格狭間をもっ方形台座上で頭体を左方を転じて坐す。老顔の俗体を示し〔図10〕,長衣を着け頭巾を被り,左手に扇をもっO維摩会においてよくみられる維摩居士の姿と類似する。因みに,作品は現存しないが,『三国史記』列伝第八,率居条に「率居,新羅人,…(略)…,又慶州芥皇寺観音菩薩,晋州断俗寺維摩像,皆其筆蹟,世伝為神画Jとあり,新羅においても維摩像が描かれていたことが確認できる。ただし,その図像までは確認できない。管見の及ぶかぎり,石窟庵像は韓国に現存する数少ない作例の一つであるが,中国の維摩像との図像的な類似が認められるので維摩居士像に同定することは可能である。第⑦高像〔図11〕は,蓮華座上に蜘扶坐して正面を向く。円頂無冠にて法衣を着けており,右手は胸前にあげ,第一指と第三指を捻じ,左手は腹前において掌上に宝珠を置く。すなわち,地蔵菩薩の姿を明示している。韓国における地蔵信仰をみると,文献記録における最古の記録は,『三国遺事』巻第三,塔像第四,台山五万真身に「…(略)…,赤,在南台南面,置地蔵房,安円像地蔵,及赤地面八大菩薩(注16)為首一万地蔵像,福田五員,昼読地蔵経,金剛般若,夜占察札機,称金剛杜,…(略)…jとあり,この記述を信用するならば,705年頃に五台山において八大菩薩や地蔵菩薩が信仰されていたことになる。しかし,文中において誤記が多くみられ,正史に確認できない人名や事件が多く記されているので,記述をすべて信用することはできないものの,『大乗大集地蔵十輪経Jゃ『占察善悪業報経』の伝来や,地蔵信仰が行われていたことは確認できる。また,『三国遺事』巻第四,義解第五,真表伝簡に「釈真表,…(略)…,終見地蔵菩薩,現受浄戒,即開元二十八年庚辰三月十五日辰時也。…(略)…,現授占察経両巻,…(略)…」と記されており,740年頃に『占察善悪業報経』による地蔵信仰が行われたことがわかる。以上の記録から,石窟庵造営より以前に地蔵菩薩に対する信仰が統一新羅において行われていたことは明らかである。すなわち,74 -
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