は37.5センチ)である。この鶴林寺像の場合にも,珍しく右真中の手に弓があるので,に複数の弁才天と持ち物の間で本来とは異なる組合わせが生じた可能性がある。例えば,慶長19年(1614)の像は〔図3〕,市立長浜城歴史博物館の1992年の『竹生島宝厳寺J特別展の目録には図80(69頁)に,特に珍しく,箭は左第三(一番下)の手にあり,弓は右第三の手にある。私が1997年に写真を撮影した時,別の箭は右第三の手にあり,弓は左第三の手になった。人骨宇賀弁才天坐像が基本型だが,立像もある。現代の蓮華会弁才天像は〔図4〕立像だが,立像の古い作例は兵庫県の鶴林寺の南北朝時代以前の物(木造りで,高さ持ち物は取り替えられた可能性がある。彫像以外入管宇賀弁才天には,画像も非常に多い。立像も坐像も作例があるが,立像の方はかなり少ない。立像の例には,高野山持明院の室町時代絹本著色弁才天像,個人蔵の南北朝から室町時代の絹本著色弁才天像〔図5〕,個人蔵の室町初期絹本著色春日薬師蔓茶羅内弁才天像〔図6〕,天川神社の江戸時代絹本著色天川蔓茶羅がある。その4点のうち3点は単独立弁才天像でl点は薬師蔓茶羅である。この薬師蔓茶羅では,弁才天は薬師如来の左下に立ち,右下に立つ毘沙門天とペアをなしている。この4点の弁才天像は,取り巻き連や,スタイル,品質で相互に異なり,図像の観点から考えても少し違う。この4点弁才天像の持ち物は同じだが,各々の手にどのものを持っているかは若干異なる。右手の持ち物セットと左手の持ち物セットに関しては『仏説最勝護国字賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』の記述に従うけれども,右手と左手各々にある持ち物は違う。各々の手の持ち物を比較すれば,違いがあるが,右側・左側というセットでは経典に従い一般的な図像の規則を示す。坐っている八皆宇賀弁才天画像の方が非常に多く,更に高野山持明院と天川神社像のように,十五童子巻かれている場合が多いし,大黒天,見沙門天等の像もある場合がある。鳥居が付いているものも付いていないものも宇賀神像を弁才天の頭に頂く。持ち物の図像は弁才天立像と同じである。私が今まで集めた約30作例では,ほとんどは右手に棒,箭(ときどき二本),剣,鎗を持ち,左手に鉾,輪,宝珠(しばしば皿の上に三つ),弓を持つが,各々手と物の組合わせは少し違う。例として,東京国立博物館の室町時代の絹本著色弁才天十五童子像〔図7〕,高野山の宝寿院の室町時代の絹本著色弁才天十五童子像奈良の薬師寺の室町初期の絹本著色弁才天十五童子像等があ-131-
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