鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
142/759

る。八胃宇賀弁才天像が基本型だが,二管と六骨の物も,少ないながら伝えられている場合がある。二腎の立弁才天彫像は竹生島宝厳寺や,滋賀県の慶光院と松雲寺等にある。竹生島宝厳寺の像〔図8〕は室町時代の剣と宝珠を持っている小さい木造り弁才天立像である。慶光院の像は江戸時代の木造りのもので(高さ60センチ),論と宝珠を持っている弁才天立像である。松雲寺の像は平安時代の木造り(高さ99.8センチ)「位江弁天」というものである。元来弁才天像として作られたのではなく,宇賀神像や脇手が後で付け加えられたのである。この「総江弁天jは,左手に宝珠を持ち,右手の物は現存残っていない。二骨の坐弁才天彫像には東京国立博物館に寄託されている個人蔵の十三世紀後半頃のものである〔図9〕。寄木造りで,高さは31.3センチである。この宇賀弁才天像は剣と宝珠を持っているが,持ち物は後で付け加えられたのである。宇賀神は初めからのものだと思われているので,宇賀弁才天像の最古例かと考えられる。群馬県の林昌寺に元禄16年(1703)の石造(高さ81センチ)の宇賀弁才天像がある。見沙門天立像と大黒天立像は脇においている。この真中の弁才天像は左手に宝珠を持ち,右手の物は現存しない。二菅の宇賀弁才天画像は彫刻ほと守見つかつてはいないが,宝船版画には七福神の聞に琵琶を弾く弁才天が見える。六管像は一番少なく,彫像が一点しかないし,画像も一点しかないのである。神奈川県の浄見寺には室町時代の小さい銅造弁才天坐像(9.5センチ)がある。宇賀神を弁才天の頭上に頂き,持ち物は左真ん中の手にある宝珠以外残っていない。左第一手は輪を持っていたはずだが,他の手の持ち物は各々幾つかの可能性がある。香川県の金万比羅宮には絹本著色六管宇賀弁才天十五童子像(129.1×52.4センチ)がある〔図10〕。鎌倉時代末頃の画像だと思われるので,弁才天十五童子像の古例である。立っている弁才天の下で竜神が女神に金の塊を供え,上には釈迦,薬師,地蔵,観音と文殊という春日明神の本地仏が現われている。弁才天の頭上を宇賀神が頂く。女神の持ち物は右第一剣,第二二本の箭,第三(真中)鋪,左第一鉾,第二弓,第三宝珠で,『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経Jに説かれる入管像の棒と輪を持つ手が省略されている。この六菅像の持ち物は左右が適当なベア(第一鉾と剣,第三弓と箭,第三宝珠と鋪)をなし,良いバランスをとっている。132

元のページ  ../index.html#142

このブックを見る