宇賀神像はたいてい弁才天の頭の上に現われているが,竹生島の宝厳寺に所有されている南北朝期の弁才天十五童子像は,八腎弁才天の下に白蛇が描かれている。また,別に字賀神像単独のものもある。例えば,京都の長建寺には弁才天本尊の前に江戸時代の宇賀神彫像〔図11〕がある。なお彦根の長寿院(大洞弁才天)には特別な宇賀神堂があり,蛇としての堂内宇賀神彫像は秘仏として60年に一回しか見ることが出来ない。奈良県の長谷寺能満院や滋賀県の石山寺〔図12〕,高野山の親王院にはいわゆる天川弁才天画像がある。こういう弁才天像では,弁才天と蛇が完全に関連付けられ,弁才天は蛇の頭を持っている。石山寺の十皆像は宝珠などを執り,十五童子と蛇神に取り巻かれており,室町時代の物である。また,弁才天と白蛇の結び付きは宇治の白蛇功徳院で見られる。そこでは,弁才天は生きている白蛇の形として祭られている。宇賀弁才天は『金光明最勝王経』の八智弁才天に近いし,f仏説最勝護国宇賀耶頓得知意宝珠陀羅尼経』の記述に基づいている。かなり忠実に『仏説最勝護国宇賀耶頓得知意宝珠陀羅尼経』の記述に従っているが,右手と左手各々にある持ち物は違う。バランスをとる目的によって,必要な図像的な変化をする。彫刻の場合には持ち物が取り替えられた可能性もある。八腎宇賀弁才天像が基本型だが,二管,六菅,十管の物も,少ないながら,伝えられている。-133-
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