世紀半ば頃に始まる中国の地蔵信仰が8世紀には韓国,統一新羅に伝来し,僧形・施無畏印・持宝珠という図像が定着し,造形化されたものの中で,韓国における現存最古の地蔵菩薩像が本像であるという過程がうかがえるのである。因みに,敦埋出土の大英博物館蔵地蔵菩薩画像(9世紀末)などにおいても,錫杖をもっ姿勢は見られないので,錫杖をもっ地蔵菩薩の図像はそれ以後に成立した図像であると思われる。以上のように,本像は地蔵菩薩像の現存作例の中で最も初期に属するものであり,インドより続く施無畏印・持宝珠の伝統を守りながら漢訳経軌にみられる僧形で表された作例であることが推測される。第③寵像〔図12〕は,蓮華座上に蜘朕坐して正面を向く。髪を結い三面頭飾を付けており,正面頭飾には化仏(仏立像)が表されている〔図13〕。左手は胸前において掌上に宝瓶を置く。右手は右膝上に置き,第一指と第三指を捻じて下方に垂らす。本像は,頭飾の化仏や左手の宝瓶から考えて,観音菩薩に同定される。化仏・宝瓶の観音菩薩像としては,呉栄信蔵金銅観音菩薩立像二躯(6世紀と8世紀初頃)や国立公州博物館蔵金銅観音菩薩立像(7世紀)など多数現存する。第⑨寵像〔図14〕は,頭体を右方に転じ,少し体を前に屈して蓮華座上に半蜘扶坐する。髪を結い頭飾を付けて,両肩に髪を垂らす。右手は肩前にあげて第一指と第三指を捻じ,左手は左膝上に置き金剛杵(上部破損)をもっ〔図15〕。本像は左手の上に載せた金剛杵によって金剛手菩薩であることがわかる。金剛杵をもっ金剛手菩薩については,インドのエローラ石窟をはじめ初期密教以後の作例において,脇侍菩薩あるいは八大菩薩中に多く見られるものであり(注17)『陀羅尼集経』巻第一の「其仏左辺作金剛蔵菩薩像(注18)。像右手屈腎向肩上。手執白払。左手掌中立金剛杵。其一端者従皆上向外立著(注19)。」のほか,多くの密教経軌にもみられるが,中国や韓国では八大菩薩中のー菩薩として以外はあまり流行しなかった菩薩である。また,金剛手菩薩の図像は金剛杵をもっ共通性はあるが,八大菩薩を説く経軌のうち,不空訳の『八大菩薩蔓茶羅経』では右手に金剛杵をもっとされるが,善無畏・一行訳の『大日経』では本像と同様,左手にもっとする。すなわち,本像が八大菩薩を説く経軌の中では善無畏系に属することが推測される。では,これらの尊格からなる全体の構成はどういうものであろうか。まず,維摩会の場面における文殊菩薩(第⑤禽像)と維摩居士(第⑤寵像)を分離してみる(注20)。そうすると,残った六体の菩薩像の性格は自然に浮かんでくるであ-5-
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