「遊女と達磨図J(日本浮世絵博物館蔵)は寛政年間の作品には珍しい絹本着色の作品であるが,遊女の歌麿風を加味したようなやや面長な顔のかたちゃ,少し目尻の上がった目などの容貌は,寛政六,七年の頃の歌川豊春の美人画の容貌と酷似するものだが,全身のプロポーションは,豊春の頭の小さな,すらりとしたものと違い,五頭身ほどのスタイルである。また,遊女を描いていながら,画面から発せられる色気や愛婿に乏しい,どことなく硬い,冷めたような雰囲気は政演期の美人画の特徴と一致するように思われる。遊女の打掛けや帯の衣紋線,達磨の右膝の輪郭線などは,起筆が鋭く,鋭角的な感じのする息の短い線であり,紙本淡彩の筆致と気脈を通ずるものと思われる(注3)。これらの京伝画の特徴と本図とを比較してみる。本図の制作は序文が示すとおり寛政五,六年の頃であろうと思われるが,この頃の京伝の画風は重政風を踏襲したものであり,本図に描かれた容貌,プロポーションとはかなり異なる。同様に瞳の大きな目元に代表される愛矯のある表情は,絹本着色の「遊女と達磨図」のやや怜’附なそれとも異なるものである。描線も京伝のものは起筆の鋭い,鋭角的な息の短いものであり,本図の肥痩が少なく,息の長いなめらかな線質とは相容れない。また京伝自作自画の『客衆肝照子J(天明6年<1786>刊)は,吉原で見ることのできる人物を類型的にとらえ,その姿を一人ずつ,役者の舞台の出に見立てて描くという趣向で,本図に似通った構成の酒落本であるが,適所に後ろ姿や座った姿を織り込んで挿絵に変化を持たせる京伝の構成法と,立ち姿だけで巧みに画巻の流れを生み出し,背を見せた人物の顔をわざわざ振り返らせて鑑賞者に表情を読みとらせようとする本図の方法とでは,絵師の志向が異なるように思われる。さらに,京伝はどのような小品についても自身が描いたものには「画賛」と描いた旨を明記するのが常であるが,本図にはそれが見あたらない。以上の点から,本図が京伝の手になる可能性は極めて低いと考える。では,本図の筆者を誰と想定するか。結論から言うなら,画風の一致から,筆者は初世歌川豊田と思われる。本図の女性の容貌と豊田の肉筆美人画,例えば「春の愁」(太田記念美術館蔵)「座敷酒宴図」(クラクフ国立美術館蔵),「菖蒲を持つ女図」(MOA美術館蔵)の顔貌表現とを比べると,卵形のややふっくらした顔の輪郭と雷のバランス,日と眉,鼻のバランス,少し受け口気味の愛らしい唇,厚ぼったい耳采などの特4 筆者の比定142
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