徴が一致するのが見て取れる。特に瞳の大きな愛矯のある目元は錦絵の「風流三幅対jや「風流八景jなどと共通し,表情全体としては「どこか少女の雰囲気を残した愛すべき美人画」となっている。本図の賎妓の頬骨の高い,えらのはった顔の輪郭は,「役者舞台之姿絵・おとはや」のそれと近しいものであり,口の端を下げた表情にも共通するものが感じられる。さらに本図の後家の顔の輪郭の内側にもう一筋,顎の線を引いた二重顎の表現は,豊田の作品中「座敷酒宴図」の左端に座る仲居や「風流七小町略姿絵・雨乞小町j,また「お多福半四郎jと呼ばれた四世岩井半四郎のふくよかな似顔にも見いだせる。顔面部で濃墨をさす部分は,眉,上まぶた,瞳と唇の結び目で,鼻孔や耳穴にはささないが,この描法は豊国の肉筆画と完全に一致している。同様に,肌の部分の輪郭線に脈脂を重ね,特に耳呆の部分には太くはっきりと脈脂をさす描法も豊国の肉筆画に認められる。また,全身像におけるプロポーション,頭部と体のバランス,衣紋線,ふっくらとした量感を感じさせる手足や少し掘態を帯びたような指先など,本図と豊田の描く人物像とは同じ造形感覚のもとで描かれたと思われる特徴を備えている。「役者舞台之姿絵・おとはやj同「たきのやjは,本図の深川の遊女,町人の息子と同様の姿態を取っており,特に「おとはやjと深川の遊女では衣紋線の入れ方や手紙を持つ左手の指先のかたちまで一致している。また,本図のやや芝居がかったしぐさではあるものの,歯切れのよい明快なポーズは豊田の人物像の特徴と共通する感覚である。人物像に関する垢抜けた造形感覚は,一人一人をみる場合だけではなく,二人,あるいは三人を並べてみたときにも感じられる。背景をいっさい描かず,無駄のない洗練された人物の姿態による構図の明快さは,「役者舞台之姿絵jの組物の構成感覚に近しいものと思われる。以上のような共通項から,「江戸風俗図巻jの筆者は豊固と考えたい。大久保純一氏によれば寛政6年から7年頃にかけては,出世作「役者舞台之姿絵」に代表される役者絵においても,美人画においても豊国が独自の画風の確立を見た頃であり,特に美人画においては,歌麿の画風をベースにしながら,前年までのどこか娘らしさの残る表情が払拭され,内面からにじみ出る「張り」のようなものが感じられるようになる(注4)。「江戸風俗図巻jの美人の表情は娘らしい可憐さを残すものが多いが,その中に若干,「張りjを感じさせるものがあることと,姿態の洗練された様子から,寛政5年から6年初頭にかけての「役者舞台之姿絵jを手がけていた頃とほぼ同時期の制作とみたい。この当時の京伝と豊田の関係についてであるが,豊田と京伝が初め143
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