来た感が否めないことである。そしてこうした事情は〈五浦釣人〉に限らない。平櫛は〈五浦釣人〉以外の他の像についても類似した作品を複数制作している。そしてそれらの作品もまた作品が依拠する故事やテクスト,モデルにまつわるエピソード紹介に終始するあまり,各作品の差異に意をはらい厳密に区別されるどころか,しばしば制作年が混同されるなど,まるでそれらが一つの作品のように扱われて来た。それゆえ本研究では,平櫛による類似した複数像制作,そして生涯にわたる制作状況の把握を目指した。半世紀を越える長い制作期間,また後に触れるように1950(昭和25)年過ぎ頃からの複数の弟子を抱えた工房化もあって,平櫛田中の生涯の制作実態を精査するにはまだ遠く及ばない。ただ今回の助成による集中的な調査により,私は平櫛の類似する複数像の制作パターンの概要を提示する用意は出来た。ただ本報告書においては,限られた紙数ゆえ,まずは平櫛作品の繁雑な生産状況を具体的に確認する一例として,〈五浦釣人〉を取り上げながら,これまでに得た知見の一端を報告する。二〈五浦釣人〉(一)5体の木彫と2体のブロンズ〈五浦釣人〉について,各作品を区別するための便宜的な仮題を付したうえ,以下のデータ[制作年/台座から頭頂までの像高/所蔵/初出品歴/彫銘]を掲げる。※ちなみに現存する作品における竹製の釣竿は全て取りはずし可能で、ある。〈木彫〉〈一九三0年像〉〔図1〕1930(昭和5)年/像高不明/所在不明/第17回院展/台座前面に「天心先生J,背面不明補足:〈五浦釣人〉の第一作となる本作は現存が確認出来ず,第17回院展図録の写真図版から,その姿をうかがうしかない。像高についての情報はないが,当時の平櫛作品のサイズからして,おそらく後記する〈東京芸大像〉〈岡山像〉〈ボストン像〉と同様に,足先から頭頂まで3尺3寸(lOOcm)として問題はなかろう。写真図版からうかがえる表面の仕上げや相貌などから〈東京芸大像〉に似通った作品であることがうかがえる。〈東京芸大像〉〔図2〕1943 (昭和18)年/110.8cm/東京芸術大学美術館所蔵/初出品歴不明148-
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