鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ろう。当時,単独像や脇侍菩薩としても流行しなかった地蔵菩薩や金剛手菩薩,除蓋障菩薩などが含まれていることが注目される。また,初期密教において菩薩に地位上昇する金剛手菩薩があることや,地蔵菩薩と金剛手菩薩が組合わされていることは重要なキーワードとなる。このような条件を満たす構成として,筆者は密教の八大菩薩の可能性を提示したい。筆者の推測が正しければ,石窟庵主室の寵室に現存する八体の尊像のうち,維摩会を構成する二体を除いた六体は,八大菩薩のうちの六体であることになる。また現存しない二体を加えれば現存像の六体と合わせて八体になることからも可能性は大きいと思われる。因みに,『三国遣事』巻第三,塔像第四,台山五万真身に「八大菩薩Jという名称、がみられる(注21)。前述したように,705年頃という年代は信君、性が低いが,8世紀前半に「八大菩薩Jの概念が統一新羅に伝来していたことは確認できる。以上のように,高室は,維摩会を構成するこ体と,八大菩薩を構成する八体によって構成されていた可能性が大きいとみられ,このことが石窟庵全体に関する筆者の復原の前提である。なお,現存する八体の像のうち,観音菩薩と弥勅菩薩は当時流行していた図像であり,維摩会の二尊や地蔵菩薩の信仰については,石窟庵造営の少し前にはすでに行われていたことが文献記録で確認される。しかし,作例としては現存最古のものである。また,除蓋障菩薩と文殊菩薩は統一新羅における最新の図像である。すなわち,石窟庵の禽室像が当時の最新の図像ないし最流行の図像を用いたことが推測され,石窟庵の造営における尊格選択の一面をうかがうことができる。2.配置の復原についてまず,維摩会における文殊菩薩と維摩居士の配置は,敦憧などの中国の石窟の配置傾向から考えて,門口の左右に配置させるのが最も自然であると思われる。その場合,向き合う形式をとるので,現在空いている第①寵に維摩居土を,第⑬寵に文殊菩薩を配置させることができょう。因みに,維摩会は中国では北貌以来非常に流行した主題であるが,韓国に現存する作例は非常に小さい(注22)。その点においても本像は韓国における維摩会を考える上で重要な資料といえよう。次に,地蔵菩薩や金剛手菩薩を含む八大菩薩の配置を説く経軌の検討したうえで,多様な配置が想定される寵室の八大菩薩の復原案をしたい。紙面の関係上,結論のみを記す。当初の石窟庵の八大菩薩は,善無畏訳『尊勝仏頂修瑞伽法儀軌J巻下の「其6

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