鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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断から本来の鯛釣には不向きな川魚用の竹魚龍に改めたと思われる。ところが7尺8寸になると,この竹魚、龍も容積的にかなりの量となるので,思いきって本物の網魚龍を持たせるという変更を行ったのであろう。また〈茨城大像〉は,その巨大さゆえ,胴部は前後で二分割のうえ内部は内ぐりが施され,その上で首が填め込み式になっている(注8)。〈一九三0年像〉は現状が確認できないが,他の四体はいずれも一木で制作されているのとは対称的である。このように大型の〈茨城大像〉の違いは明瞭であるが,それに対して次に挙げるのは,一見判別し難いながら,平櫛の制作についてより重要な問題をはらんだ差異である。すなわち同形同サイズの4体で〈一九三0年像〉〈東京芸大像〉の前2作と,〈岡山像〉〈ボストン像〉の後2作の聞の差異である。まず使用木材の違いに起因するが,前2作ではざっくりと木目も際立つた表面仕上げになっているのに対して,後2作では一見するとブロンズかと見紛うような光沢をもち,近寄って確認しないとわからないほど木目の詰まった表面となっている。またなにより大きな差異は,その顔部の相貌である。明らかな違いは口髭の下部のラインであり,前2作ではゆったりとした下弦の曲線がそのまま頬へとつながるように処理されている。一方,後2作ではより直線的で、,また髭尻が下方へ折り曲げられ,明らかに頬と口髭とが分断するように表現されている。さらには,前2作では,下目蓋のふくらみが大きく,目の下に隈があるように見える。また目尻がいささか垂れていたり,頬も弛みぎみで全体に下膨れている。ただその中で,細く深く彫られた眼部が印象的で,作品を前にすると,あたかも生きた人間を前にしたような生々しさを感じる。それに対して,後2作は,口髭の他,眼が前2作よりいささか広くされるなどの相違点があるが,全体に硬直化して表情に乏しい。いわば具体的な個人を離れて,一種の類型化した人物像となっている。ではこの違いは何に起因するかと言えば,端的に制作者の違いである。〈茨城大学像〉の胎内には制作助手として伊藤礼太郎,西山三郎の2人の弟子の名が記されているという(注9)。また1996(平成8)年に朝日新聞社主催で開催された『平櫛田中』展図録には,2人の弟子が〈茨城大像〉の粘土による原型を制作する様子を平櫛が見つめる写真が掲載されている。年東京芸術大学教授として去るまで同校で後進を指導した。この時期の学生達を主に,1944 (昭和19)年,平櫛は73歳にして東京美術学校の教官となり,1952(昭和27)152

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