鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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和33)年の〈鏡獅子〉(東京国立近代美術館所蔵,東京国立劇場に寄託)や,1962(昭和37)年〈五浦釣人〉(〈茨城大像〉)などの大作制作では弟子達が相当の作業量をまか尺3寸の作品と同じであるが,長い顎費があり,また顔の相貌からしても,岡倉天心その後も平櫛のもとで助手として制作を続ける者達によっていわば平櫛田中工房が形成される。この形成過程について現段階では詳細にすることは出来ないが,1958(昭なったことは想像に難くない。またわずか2年聞に〈茨城大像〉〈岡山像〉〈ボストン像〉の3体の木彫を90歳を越えた平櫛が独力で完成させたとするほうが無理であり,この点に関して,筆者は伊藤札太郎氏に確認したところ〈岡山像〉の制作は,大部分が同氏など弟子達によるものである旨の返答をいただいた。つまり3尺3寸の4体の〈五浦釣人〉の相貌の差異は,岡倉天心を直接に知る平櫛が独力で大部分を制作した前2作に対して,平櫛が監督の立場となり弟子達の手に多くを委ねた後2作という,制作当事者の差に多く起因するものと言えよう。(四)〈五浦釣人〉の変遷について前出小野啓三「五浦釣人Jは,岡山県の関係者が〈岡山像〉を受け取りにいった際,さらに31本の〈五浦釣人〉を制作中であったと伝え聞いたことを記している。伝聞ゆえ信恵性は定かではないが,けして有り得ぬことでもなかろう。また上記の〈五浦釣人〉以外に,少なくとも形状に若干の修正が加えられたバリエーション作品が存在する〔図6〕。このバリエーション作品については,像高約40cmの原型が井原市立田中美術館に収蔵されている。制作年については不明。そして,おそらくこの原型を元に制作されたであろう,ほぼ同サイズの木彫を私は確認した(注10)。おおまかな形状は現存する3とは認め難い。すなわち岡倉天心像ではない〈五浦釣人〉,それも流通が容易な小型像が存在するわけである。あらためて振り返ると,〈五浦釣人〉は芸大,五浦,ボストン,岡山,井原,福山と,その収蔵設置場所が,天心所縁の場所から,次第に平櫛に縁の深い場所にシフトしてゆく。制作年や設置理由も,当初の日本美術院や岡倉天心に関りの深い年に限定制作されていた状況から,1962年から翌年にかけての3体もの量産を経て,そして最後のブロンズ像の2体は,天心にとっては,まるで関係のないタイミングで制作,設置された-153-

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