わけである。屋外のパブリックスペースに見合ったサイズや形状を考えれば,平櫛の作品中〈五浦釣人〉は最適だとは思われるが,まさにこうした理由や,あるいは天心ではなく平櫛の個人的な事情により〈五浦釣人〉が選択,制作されたわけである。さらには同形同サイズながら,作業当事者の変更による作品の質的変化があり,また相貌を変え天心像ではない〈五浦釣人〉が流通パージョンとして制作されているわけである。〈五浦釣人〉を通じ,これだけのことを確認しておく。三類似した複数像の制作について平櫛の制作プロセスの根幹をなす「星取法」にふれておく。平櫛は1900(明治33)年頃から,粘土による原型をつくり石膏像とし,その表面上に施した目印となる点を,彫り進めようとする木へ移し変えることで,原型と同形の木彫制作を可能にする星取法を採用する(注11)。この技法は,高村光雲門下の米原雲海,山崎朝雲などが,長沼守敬や小倉惣次郎などの洋風塑像家達との交流から伝授され,さらに山崎,米原から木彫家達にも広まる(注12)。当時,光雲工房で,山崎,米原両人に世話になっていた平櫛も,早速この技法を採用し,以後生涯に渡って制作プロセスの根幹に据える。この技法を用いれば,一つの原型からほぼ同一の像を複数制作することが出来たり,サイズの変更も可能で、ある。しかしながら〈五浦釣人〉がそうであったように,現状を確認できる同形同サイズの像を厳密に観察すると,細部の形状が異なった作品もあり,それは原型から木彫へと移し代える際に生じる差異というよりも,原型制作段階からの作品形状の明らかな変更修正と見える。また平櫛作品はたいてい台座部分に彫銘が施されており,そこから確認できる制作年からすれば,短期間に集中して複数の類似像が制作されたケースは,前述の3体の〈五浦釣人〉量産以外にはなく,ほとんどの類似像はかなりの時間の隔たりをもって制作されている。これらの点を踏まえたうえ,平櫛の弟子として制作助手にあたった伊藤札太郎氏からの御教示を合わせて考察すれば,平櫛は同一原型から複数像の制作を行うことはなく,たいてい各像毎に原型から作り直している。また等身大以上の作品では,粘土の小型原型→粘土の完成作大の原型→木彫の完成作と,その作業工程は丹念なプロセスを踏んでおり,この過程の中途の像が他の像に転用されることもまずない。154
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