鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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注(1) 今泉篤男「平櫛田中先生j『百寿記念平櫛田中彫琢大成J講談社1971年(2) Langdon Warner (1881 1956)アメリカの東洋美術史家。ハーヴァード大卒業後,(3) 〈五浦釣人〉には添書あるいは台座銘として平櫛が寄せた自作詩がある。(4) 同展覧会出品目録③ 同名同形の作品ながらスケールが変更されるケース。ース。もっとも〈五浦釣人〉ひとつを挙げても①,②,③と重なるように,たいていは複合し繁雑な様相を呈する。そしてその整理のためには,これまで掲げてきたような情報の収集が必要とされるため,さらに全平櫛作品に渡つてのデータの収集と整理にはまだ遠く及ばない。それゆえ,ここで概略,分類した平櫛作品スタイルの変還と作品生産のパターンは,現段階までの限られた情報によるものではあるが,この見取り図が大幅な修正をせまられることはないと,私は考えている。いずれ,この平櫛作品スタイルの変遷と作品生産のパターンについては,より詳細な報告ができるよう研究を継続してゆきたい。来日し岡倉天心のもとで学ぶ。太平洋戦争中,日本の重要な美術文化財を網羅したリストを作成し,このリストにより京都,奈良がアメリカ軍の空襲の対象から外されたと言われる。「五浦釣人/奇骨侠骨先師天,心/左手擁網右手掌竿/釣得甚麿鯨分鰻号/春草両観紫紅較彦j〈大意〉奇骨侠骨をもって知られた先師天心が、左手に網を持ち右手に竿をもっている。釣ったのは何であろうか,鯨か鰻か。いや釣れたのは春草,大観,観山,紫紅,較彦の美術院の俊英達である。この詩句の存在が,こうした物語の要素を引き立てているとも言えよう。本間正義編『近代の美術55平櫛田中』(至文堂1979年)や大熊文治「田中先生の思い出「五浦釣人j像J『百八歳平櫛田中翁』展図録(井原市立田中美術館1980 年),さらには1996年に朝日新聞社主催で開催された『平櫛田中展図録』の藤井明による作品解説でも,この詩句が紹介されている。④ ほほ同形同サイズながら,細部の変更により,別名の異なる作品となっているケ-157-

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