鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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⑬ 水彩画の流行と風景の変容研究者:東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程鈴木勝雄はじめに明治から大正にかけて水彩画が流行し,水彩画専門の画家が多数輩出したことは,日本の近代美術史の一挿話としてしばしば言及される。かつて矢代幸雄は,この水彩画の流行を,日本人が西洋絵画を理解するためにたどらざるを得なかった「廻り道」として捉えたが,確かに,穏便な自然描写にとどまった当時の水彩画家の作品が,大正以降急速にその魅力を失っていったことは事実である。しかし,水彩画の流行を,芸術史の中に位置づけるのではなく,広く社会的な現象として捉えることによって,そこに新たな光を投じることが出来るように思うのだ。近年,社会学や文学史の領域から,明治以降の風景観の変遷についての論考が多数発表され,「風景jは近代の日本人の心性を探るキーワードと化した感があるが,水彩画の流行もまた,こうした視点から新たに評価し直す必要があるのではないだろうか。従って,本論では,水彩画の流行という現象を,出来る限りその受け手である大衆の側にたって理解することに努め,彼等の風景に対する認識の変化と水彩画との関連性を解き明かそうと試みた。1 水彩画による風景の発見私達が,百里に亘った大自然から,僅にす線を描き得る絵画なるものを,楽しむのは何故であるかといふに,世の中には,自然を見ていながら,十人が十人,必ず之を味ふとは言へない,触れていながら感じない人もある,ここに画家が生れて,人間に向って,形態と,色彩と,感情とで,自然を通訳してくれる,コローに描かれて,仏蘭西の低原の森にも,初めて神秘な空気が通って来たやうに感じられる,タアナアが起って,アルプスの雪を戴く高嶺が殿堂のやうに仰がれて,人間の眼に映ったのである,低原の森も,アルプスも,画家の生存以前から,生存していたのである,人も之を観ていた,知っていたのであったが,描かれて初めて味わったのである。感じたのである(注1)。これは,『日本アルプス』の著者であり,日本山岳会の創設者として日本における登山文化の生みの親ともいえる小島烏水の文章で、ある。山岳文学の先駆者として紀行文家-177-

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