口δ・・自然の美を愛する余り,遂に絵画の技を学んで,四季折々の移り変わりのあはれ深きを味はんと思ひ定めた。絵画といっても種々である,…レンズを透した映像を見慣れた目には,(漢画の)耶馬渓的気韻主義は,只,不思議なと思ふばかり。さらば洋画の門を叩かんか,片田舎の悲しさは,色どり美しい油絵や水彩絵は印刷物を見る位で,名匠が苦心の肉筆のそれには,遂いぞ接することが出来なんだ。然し,雑誌の口絵や単行物で,眼に触れる事が度重なるにつれて,暗箱のピント面に映る景色が,肉眼で見た自然の色彩のそれよりも,美しいやうに,これも亦と思われるやうになった(注9)。「あ、愛する『みづゑ.IJ在関門画狂生近年西に東に旅行し,新しき風景に接する毎に,アー僕も画が出来たら端書にでも一寸スケッチして郷里の田舎漢を驚かしてやったらと思って(いた)…(しかし去年のことであるが)世の中は絵葉書の大流行で僕の友人等から所謂御手製のヤツがやって来る,夫れを見る毎に,どーかして僕もーっと思ひ益々,僕の燃ゆる野心へ油を注いだと云ふ次第,此の流行の要求に連れ,彼の読売新聞には毎日絵葉書の図案を掲載して,夫れに心切な彩色法まで出し掛けたので,僕も或る日徒半分にやって見たがーす見える迄に出来た(注10)。「鬼の首でもとったろう」京都元来私は,非常に旅行好で,少しでも隙があったら飛出して,山野を蹴渉し,恵、深き自然の神の思沢に浴しておりますが,常々恩ひますに,旅行中に眼に触れたい、景色や,珍しいものを絵に画いて,親しい友や,留守宅の家族に送ったら,楽みを自分一人でほしいま、にしないで,之をうけた人たちはどんなに趣味を感ずるであろうかといふ事でした。それには是非水彩画で、なくてはいけないと思ひましたが,悲しい哉,田舎に住んで居ました自分は,師とする人もなく,何処からどう筆をつけてい、かさっぱり分かりません。尤も中学校で毛筆画の臨本模写は習ひましたが,余り役に立ちません(注11)。これら3人のアマチュア画家の投書から,水彩画の流行を支えた背景として,第一に写真の浸透,第二に絵はがきの流行,第三に旅の大衆化が挙げられるのではないだろ
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