12)。うか。写真に関しては,写真機を所有して実際に自然を写した人も徐々に増えてきたことと思われるが,むしろ,明治20年代末から,写真製版が技術的に可能になり,様々な風景写真が雑誌や新聞を飾ったことを指摘しておきたい。さらに,写真による各地の名所イメージの伝播ということについていえば,日露戦争前後に流行した絵はがきの役割も無視できないだろう。絵はがきの流行は,明治33年に私製の郵便葉書の使用が許可されたことに端を発するが,風景絵はがきをはじめとして,記念絵はがきや美人絵はがき等,様々な図柄が考案されて,人々の蒐集熱を多いに刺激したのである。柳田国男は,これらの印刷メディアに載った風景イメージが,日本人の風景観に変容をもたらしたと指摘する。近頃風景絵葉書といふものが,非常な勢を以て流行して来たに付て,日本の景色といふものに対する定義が,在来と少しく趣を殊にして来た,勿論独り絵葉書に限らない,毎月発刊せせる、幾十幾百といふ雑誌なぞでも,口絵に景色の写真版を用ひて居ないものは殆どない,これ等も皆世間の景色に対する眼識を高めたに相違はないが,先ず大体から見て,絵葉書といふものが最も大なる影響を輿へて居るようである(注雑誌の口絵と絵はがきとの相違は,後者が蒐集の対象となったことである。絵はがきは,郵便制度の整備と旅行の大衆化を背景に,旅先からその土地の風ー景や風俗の便りを送るという,これまでにないコミュニケーションの形態として急速に普及していった。「山河を方寸に縮め蔵しJ(幸田露伴)た絵はがきの登場によって,日本各地の風景が,まさにコレクションの対象となったのである。しかし,上記に引用した『みづゑ』の読者の寄稿でも言及されているように,当時の写真技術は白黒写真の段階であり,自然を写すにしても,その色彩を表現することは不可能であった。大下藤次郎もまた,「鞭近写真術の流行に連れ青年社会に水彩絵具を弄するもの日に多きを加へjと,写真と水彩画との関連性を指摘しながらも,「絵画の写真にまさる大なる利益は,その色彩を写すことが出来る点にあるjと風景描写における水彩画の優位性を強調している。こうした水彩画の色彩の魅力は,多色印刷の技術的な進歩とともに,やはり雑誌の挿画や絵はがきを介して,広く巷間に伝わったのである。182
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