鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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に至るのは,当然の流れではないだろうか。その意味で,大下の『水彩画之莱』が明治34年に刊行されたことはまさに時宜を得ていたと言えるのだ。では,最後に,水彩画の流行が人々の認識にもたらした変化について考えてみたい。大下の『水彩画之莱』と,それに続く雑誌『みづゑJで展開された水彩画の啓蒙活動の成果はどこにあるのだろうか。ここで再び,小島烏水の言葉を引用しよう。小島は『みづゑ』の創刊号を次のように評価した。この頃『水彩画之葉』の著者大下藤次郎が督編せる「みづゑJ第一号を読む,吾人を教ふること循々然,自然はいかにして観察すべきか,観察したるものは,いかにして写生すべきかを語りて,精をきはむ。吾人いささか画趣を解して,未だ全く画法に及ばざりしもの,この小冊子に縁りて,闇明するところ甚だ大なり,己に不自由の所感を他に語りたる吾人は,また満足の歓ぴを,他に頒たざる可らず,則ち記して世に告ぐと云爾(注15)。この「自然はいかにして観察すべきか,観察したるものは,いかにして写生すべきかJということこそ,大下が水彩画を通して人々に伝えたかった要点ではないだろうか。大下は,『水彩画之某』の冒頭「本書の成りし由来Jにおいて,水彩画の利点を四つ挙げているが,その二番目を「観察力を養ひ得べし」としている。しばしば実物につきて写生をなす時は,物体の形状,色彩の区別等に種々なる変化を発見し,正確なる観察力を養ひ得べし。殊に色彩に於ては吾国人一般に無頓着にして石竹の花も燃えたつ火も煉瓦石をも赤と呼ぴ,晴れたる空も海の色も樹の葉もなほ単に青といへるが知く丹,紅,絹或いは青,藍,緑の相違すら知らざるものの知し。もしそれ一度自ら彩筆を把って自然に対すれば,これらの区別は勉めずして自ら理解するに至るべし(注16)。自然を観察すること,これは水彩画に即して言えば,風景を観察することに他ならな3 風景の「観察」と「描写」-185-

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