鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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phu い。この客観的な姿勢が,伝統に縛られない新しい風景を発見していくのである。しかし,眼前に走漢とひろがる風景を観察するには,どういう方法をとればよいのだろう。大下は『水彩画之某』の中で,彼なりのやり方で風景の見方を提示して見せた。それは,風景を,構成要素に分解し,さらにその細部に注目するというものである。大下は第2章「写生の方法」の中で,風景の構成要素として,天空,雲,遠景,建築物,樹木及び草,花,7](,海岸・河原,田−畑,雨・雪,点景を列挙し,それぞれについて写生上の注意点を指摘しているが,『水彩画之莱』がベストセラーになった一因は,こうした風景を観察するための枠組みを簡潔に説明した点にある。おそらく,本書以前に,一般向けの書物で,大下のように風景を文節化してみせたものは無かったに違いない。唯一,明治27年に出版された志賀重昂の『日本風景論』が,水蒸気,火山,流水の浸食といった地理学上の用語を使って,日本の風景を論述したことが思い出されるのみである。しかし,水蒸気や浸食といった言葉で,風景の構造を描写することができないのは言うまでもない。つづく第3章で大下は,自らの経験に即して風景画の彩色法を提示するのだが,そこでの風景の観察は,さらに詳細をきわめる。「天色」の項においては,空を,晴れたる空,曇りし空,雨雲,太陽の近き空,朝の空,タの空,春の空,霞,夏の空,秋の空,冬の空,海上の空に分類して,それぞれについて着色法を示している。例えば「タの空」は「日没前の黄色を帯びたる空にはレモンエローを用ふ,地平線を離れて上部緑色の強き部分にはエメラルドグリーンの少しばかりを加ふることあり,…jのように。第2章「写生の方法jが主として静的な風景の構造に言及していたのに対して,ここでは色彩によって自然の変化の相を捉えようとしているのだ。さて,小島烏水はその「紀行文論Jにおいて,「自然の美の極意は,この変化にある,活動にある」とし,その「活動の一大要素として,自然の色彩を忘れてはならぬjと述べたが,大下の『水彩画之莱』と時を同じくして,文学者においても,自然の色彩を克明に言葉に移しかえる努力が行われていた。国木田独歩から自然の日記を書くことをすすめられた徳富藍花は,わざわざ毛筆をベンに持ちかえて,洋紙のノートに,毎日の自然の見聞を書き連ねた。こうして出来上がったのが,明治33年に出版された『自然と人生』であるが,その中で麗花は,赤城の麓に流れる雲を次のように描写している。

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