鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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Y王(1)小島烏水「信州と風景画」『小島烏水全集』第7巻,大修館書店,1980年,173〜(2)小島烏水「自然描写の芸術」『小島烏水全集』第6巻,大修館書店,1979年,161(4)坂井犀水「現代の大家12:中川八郎氏j『美術新報』(明治44年2月)' 111頁其光を受くる部分は,白金よりも輝やき,白銀よりも白く,市して山は其雲より出で碧空に槻して濃色滴らむとす。赤城はすべて藍色になりぬ。小野子子持は青膚藍蔭鮮やかにして画けるが知し。雲の薄れ行くあたりより,白根及び越後の山ほのかに碧色を漏らす(注17)。一見して,色彩を形容する言葉が頻出することに気づくであろう。これは,同じく明治33年に島崎藤村が発表した「雲」についても言えることである。「雲jは,小諸に滞在していた藤村が,ラスキンの感化のもと,空と雲の変化を克明に記述した風景スケッチをまとめたものであるが,同じように,自然の色彩の表現に重点を置いている。草花と藤村の試みは,時々刻々変化する自然の姿を記述しようとする,客観的な観察態度の上に成り立っているものであった。そして,この「観察的態度jが,伝統的な観念規範にのっとって天然の美をうたう「美文」から,肉眼の観察による客観的な言己述,すなわち「写生文jへと変化をもたらし,文章の近代化を推進したとされる。「何処までも,科学的精神によって事物の真に徹し,精確,周密を旨として,些末の事象をも細かく観察し描写しようとしたj写生文は,「一般普通の上にも影響し,物の見方,構法などの上に一味清新の気を賦与し,形式の『美』よりも,事相の『真』を穿とうとする傾向を強めしめた」のである(注18)。このような明治30年前後に行われた文章表現の改革と,水彩画との類似性はあらためて指摘するまでもないだろう。風景を「観察」し,細密に「描写」すること。大下藤次郎らが水彩画の啓蒙活動を通して伝えた風景の見方は,素朴なリアリズムを求める時代の空気と呼応して広範に影響を及ぼし,誰もが,自分の目で風景を発見することを可能にしたのである。174頁(.3)三宅克己『水彩画手引』精美堂,1905年,126頁頁-187-

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