⑭ 高橋草坪の学習と工夫一一「山水画冊」を中心に一一1.はじめに2.草坪の山水画風の展開研究者:大分県立芸術会館主任学芸員古賀道夫高橋草坪(1804?〜1835)は田能村竹田(1777〜1835)の高弟として広く知られ,個々の作品についても高い評価を受けている画人である。にもかかわらず,草坪の全体的な画業に関する本格的な研究は,これまでほとんどなされていない。それぞれの作品紹介においても,その近代的感覚にはふれられているが,基本となる画法について深く語られたことはなかった。草坪が32歳という若さで没した(注1)ため作品や史料がすくなく,その生涯が多くの謎につつまれているからであろう。今回の調査研究では,こうした草坪の全体像を少しでも明らかにするため,対象を草坪の山水画にしぼり,草坪の学習と工夫という観点からの検討を試みた。その成果の一部として,本報告と並行して,草坪がもっとも充実した作品を描いた天保2年(1831)から3年にかけての山水画作品と周辺史料を調査し,その学習状況や画風の独自性について考察をおこなった(注2)。まずはその概要を述べ,草坪の山水画風の展開を追ってみることにしたい。草坪の山水画は,大阪移住後の天保2年,3年に集中して描かれている。このわずかな期間に草坪は,山水画へ本格的にとりくみ,自己の描法を深めている。基礎となったものは,草坪の幅広い中国画学習であった。その成果を具体的に示す資料が,草坪唯一の著書である画法書『撫古画式』(大東急記念文庫蔵)である。これは,草坪が実見した中国画,あるいはその写本から,家屋と人物の描法を直接描き出したと考えられるもので,現存する草坪の山水画に個々のモチーフが引用されている例もすくなくない。この『撫古画式Jと共通するモチーフと表現は,同門の帆足杏雨(1810〜1844)が遺した,作品と中国画の粉本,及び同人がまとめた画法書『聴秋閤摸古画式』(注3)にも数多く登場する。また,杏雨の絵画資料にみられる山水や樹木の表現が,草坪の山水画のなかにみられる。草坪と杏雨の両人は,共通した教材によって,中国画人の画法を学習していたと思われる。こうした杏雨の資料を参照しつつ,草坪の山水画風-189-
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