ハ同Uの展開を追ってみると,それぞれの特徴により,およそ2年の短期間を大きく3期に分けることができる。正統的南宗画法を中心に学習している。これは,草坪がまだ,竹田の強い影響下にあったことを示している。第2期(天保3年夏)は,複数の中国画から着想を得て自己風の画面に再構成するなど,主体的な中国画学習の成果を反映させながら,竹田画風からの転身がはかられた時期である。第3期(天保3年冬)は,草坪山水画の一応の完成期といえる時期で,モチーフを限定し,重量感のある主山を中央にとミっしりと据え,樹林を大きな塊として配し,構図を単純化し,視点を固定するなど,独自の画面が工夫されている。しかも,明度の高い色彩と余白とを効果的に用い,個々の事物を立体的に描き出し,実体感のある画面を描出することにも成功している。以上のように,草坪の山水画は,わずか2年の聞に竹田風のものから独自のものへと急速に変化した。これは,鋭敏な感性と確かな技術を備えた草坪が,とくに一人の中国画人に執着することなく,また画人の名声にこだわることなく,自分の見識にあわせて様ざまな描法を積極的に取りいれた結果といえる。そこからは,草坪の画法受容の柔軟性とともに,精神性や文学性にこだわらず,純粋な造形を求めた姿勢をも窺うことができる。3.「山水画冊」の現状さて,このような経緯をふまえ,以下の報告では,草坪山水画の第3期に描かれた「山水画冊Jを取り上げ,草坪の中国画学習と独自の工夫について,より具体的な検討を加えてみることとする。本画冊が,草坪の画風成立期に制作された充実作であるとともに,草坪が学習し工夫を加えた主要な山水表現の型を含んだものと考えられるからである。はじめに,本画冊の現状を報告する。「山水画冊」は紙本墨画淡彩(2図のみ紙本墨画)の全10図からなる画帖で,少なくとも2度の改装を経て現在にいたっている。図はおおむね春夏秋冬の順に並べられているが,当初のままであるかはわからない(注4)。序文や政文等はなく,帖末には「東・行」の朱丈聯印が捺された一葉が添えられている(注5)。第10図に「壬辰冬日写於大阪府胸中有佳処Jの款記があり,天保3年第l期(天保2年前半〜同年末)の草坪は,ほぼ共通した画面構成を用い,当時の(1832)の冬に草坪の大阪での寓居で描かれたことがわかる。各図は堅26.Scm,横18.9
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