鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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をより際だたせるため,原図より窓を広く描くなどの工夫もなされている。こうした効果的な図様の改変は,すでに第2期の作品のなかでも指摘でき,草坪の学習は,原図の全体的雰囲気を学ぼうとするのではなく,必要な部分だけを取りいれ,自己風の表現へと変化を加えることで進められていたようである。(第3図)〔図3〕画題はなく,署名,印章のみである。岩山の形態は,竹田や杏雨が黄公望風と把握したものに通じるが,道や土壌を利用して中景を大きな円で包み込むようにした構図は独創的で,立体感のある画面が描出されている。家屋には,『撫古画式Jに登場する二つのもの(両者とも原作者不明)が,それぞれの部分をつなぎ合わせるようなかたちで引用されている。画面右下の樹木の描写には,杏雨の『聴秋閤摸古画式』に近似する図を指摘できるが,草坪は,複雑に幹を絡み合わせ,前景や家屋の背後にも樹木を配することで,より奥行きのある空間を描出している。また,遠樹の処理にも,単調にならないよう細かな変化が加えられている。(第4図)〔図4〕「桐陰清暑」の題がある。米点風の点描による表現は,竹田や杏雨の山水画にも使用例はあるが,草坪はそれを大胆に用い,第一図同様の明度の高い色彩とうまく調和させ,律動感のある澄明な画面を描出している。家屋は『撫古画式Jに「沈復古(注10)桐下屋」として写されたものが用いられている。『撫古画式』の図に桐は描かれていないが,省略された箇所の様子から,家屋に桐が重なる部分も原図が参考とされたと考えられる。しかし,『撫古画式』の図に描かれている柵状のものはなく,背後の家屋の位置をやや高くとるなど,ここでも微妙な改変がなされている。二人の人物もまた『撫古画式』に登場する(原作者不明)が,同書ではそれぞれ別の場所に写されていることから,二つの原図からとった図様が組み合わされたものと考えられる。(第5図)〔図5〕「夏山煙雨」と題された米法の山水図である。竹田があまり用いなかった米法を,草坪は比較的多用している。天保2年(1831)12月に描かれた「夏山欲雨図J(静嘉堂文庫美術館蔵)は,『撫古画式』にも引用されている王建章(注11)筆「米法山水図J(静嘉堂文庫美術館蔵)や杏雨の粉本にある郭寛(注12)の図の影響が指摘できるが,本図もこのような中国画に学んで描かれたものと思われる。しかし,「夏山欲雨図」のような彩色は施されず,より墨の濃淡が強調された画面となっている。焦墨によるアクセントも効果的である。家屋(背後の塔をのぞく)には,『撫古画式』の馬壁(注13)の家屋が用いられている。これは杏雨の粉本(原作者不記)にも登場-192-

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