するが,米法ではない山水画のなかで,麓の屋敷の片隅という位置に描かれているものである。もちろん背後の塔も描かれてはおらず,草坪が独自に組み合わせ,本図に引用したものと考えられる。人物にもまた,『撫古画式』の図(原作者不明)が参考とされているが,激しい風雨を表現した図に描かれていたと思われるその図様は,画面に適するよう,より穏やかな姿態に改変されている。(第6図)〔図6〕署名と印章のみで,画題はない。個々のモチーフは同時期に描かれた「松林観爆図」(注14)と共通しているが,ここではちがった表現が試みられている。竹田や杏雨が王蒙(注15)風の樹法と把握した丈の高い松樹を画面中央いっぱいに配した大胆な構図である。背景の山々は,娘描をあまり用いず,墨面と代緒と藍の色面を主体として描かれている。一見奔放にみえる構図や描法であるが,墨面とそれぞれの色面がバランスよく配され,前面の松と背景の山とが一体となって,安定した画面を構成している。草坪の近代的感覚が,よくあらわれた図といえよう。岩を比較的多く含んだ川や水流の描写には,杏雨の粉本にある貌之E黄(注16)や原作者不明の図からの影響が指摘できるが,水流を前後で描き分けるなど,草坪の工夫が施されている。(第7図)〔図7〕署名はなく,漢詩の一部と考えられる句が書かれている(注17)。この句は,杏雨が天保8年(1837)頃に描いた「風雨赴釣図」(大分市美術館蔵)に書かれているものとほぼ同一で、ある(注18)。この杏雨の図は,杏雨の粉本にある陳龍雲(注目)の図を参考として描かれたもので,草坪も天保3年5月に同図を参考とした「渓山深秀図」(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)を遺しているが,本図では水や樹木の描写の一部にそれと近似した表現が指摘できるものの,原図からの影響はさほど顕著ではない。岩山の描法には杏雨の別の粉本(原作者不明)との類似点も指摘でき,右下の家屋と人物も同粉本と共通するものが用いられている。しかし,そこでは山頂を臨む正の上に描かれている家屋を,違和感なくそのまま水辺に移動させるなど,草坪の柔軟な処理が指摘できる。また,画面右上から左下に向かう強いハイライトは,i折派周辺の画に学んだものと思われるが,光を細く数条に分けるなどの工夫が,画面の視覚効果を上げている。(第8図)〔図8〕「渓郁夜雨」の題がある。彩色は施されていない。主山の形態は,杏雨の『聴秋閤摸古画式』に収められたー図(原作者不明)に近似している。また,右下の直線的な鍍で描かれた岩は,同じ『聴秋閤摸古画式』の別のー図(原作者不明)193
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