鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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5.おわりにや杏雨の粉本(原作者不明)にも登場する(注20)が,そこでは高く聾える山として描かれているものである。このように,草坪は,家屋や人物の場合と同様,岩山の描写においても,別々の中国画から抽出したものを自己の画法に適するように改変し再構成するという手法を用いながら,独自の画面を描出している。樹木の形態もまた,『聴秋閤摸古画式』のー図(原作者不明)に近似するものであるが,前景から中景へと家屋を包み込むように連なる樹林の構成には,草坪の工夫を窺うことができる。(第9図)〔図9〕画題はなく,これまで例のない「草坪逸人Jの署名が用いられている。本画冊のなかでは唯一の青緑山水図で、ある。草坪の青緑山水図としては,すでに天保2年(1831)2月に描かれた「渓上探梅図」(出光美術館蔵)があり,岩山の形態や配置,点苔の施し方など,本図との近似点も指摘することができる。しかし,本図では「渓上探梅図」にみられた強い装飾性は抑えられ,一方で、,第5図にみられたような,立体感と奥行きのある画面が,土披や破を効果的に用いて描出されている。前方の塀から家屋にかけての描写は,樹葉も含め『撫古画式』の藍瑛の図が参考とされているが,塀と家屋の聞を広くとり,手前の家屋に傾斜を加え,背後に別の大きな家屋を配するなどの工夫にがなされ,奥行きの表現を助長している。(第10図)〔図10〕款記があり,当初より帖末の図として描かれたものと思われる。画面中央の家屋には,『撫古画式』の図(原作者不明)が,水車の位置を左にずらすなどして引用されている。樹木の描法は,同時期に描かれた「寒江独釣図」(出光美術館蔵)と共通するが,樹聞はさほど密ではない。岩山の形態や描法は,竹田がほぼ同時期に豊前岸井村(現豊前市)で描いた「梅花書屋図」(出光美術館蔵)に近似している。この竹田の画に描かれた家屋は,草坪の『撫古画式』にも登場することから,両者がたまたま同じ中国画を参考とした可能性はある(注21)。しかし,本図全体に漂う穏やかな日本的情趣は,唯一の冬景ということを差しヲ|いても,他図とは雰囲気を異にしており,やはり竹田の画面を訪併とさせるものがある。草坪における竹田の存在の大きさを考えあわせると,この記念碑的な作品の最後の一葉を描くにあたり,草坪があえて竹田の画法を試みたという推察も,決して否定はできない。以上のように,「山水画冊」における草坪は,『撫古画式』の制作に象徴されるような着実な中国画学習を基盤としながら,各図を自在に描き分け,それぞれに自己の美194

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