鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
206/759

phu (10) 詳細は不詳。あるいは沈復(元の画人)と同一人物か。似)中国明末の画人。『撫古画式Jには5図が掲載される。(13) 中国元末から明初の画人。『撫古画式』にはl図のみ掲載。(1力原作は不明。「昨夜燈前倶有釣不辞風雨過渓来」とある0(18)杏雨の方は「昨夜燈前魚有釣不辞風雨渡江来jとある。同詳細は不詳。『撫古画式』には1図のみ掲載。同じくl図が掲載されている郭完(詳細不詳)と同一人物か。同現在所在は不明。図版は『造形芸術』第3巻第8号(昭和16年8月), I大分市中尾家所蔵品展観入札J(昭和9年5月)などで確認できる。同中国元末の四大家のひとり。『撫古画式』には2図が掲載される。(16) 中国明末の画人。『撫古画式』には1図のみ掲載。同中国明の画人。『撫古画式Jにはl図のみ掲載。仰)杏雨が章子在(清の画人)の筆意で描いた「暁頼捲雲図」(天保11年)にも近似した表現が用いられている。凶この時期の草坪の行動には不明な部分が多いが,九州に戻ったとは考えにくい。同天保4年以降の作品は,同年3月に描かれた「細雨春帆図」が確認できるのみである。この年の前半,草坪は危篤に陥り,死をもささやかれた。こうした体調の悪化により,作品が描かれなかったものと思われる。

元のページ  ../index.html#206

このブックを見る