同大正18785中〜786上側維摩会の二像が含まれていることについては,文明大氏をはじめ,金理那氏,萎友邦氏などによってすでに指摘されている(いずれも前掲書)。凶塔像第四,台山五万真身条「…,赤,在南台南面,置地蔵房,安円像地蔵,及赤地画八大菩薩為首一万地蔵像,福田五員,昼読地蔵経,金剛般若,夜占察札j臓,称金剛杜,…J現存しない。岡大正19-379上〜中凶虚空蔵菩薩像ー躯。立高一丈,並彩色塞,在講堂。地蔵菩薩像ー躯,立高ー丈。右皇后御願,以天平十九年二月十五日始作。同貞観15年(873)の『広隆寺縁起資財帳』法物章,講堂条に「細色地蔵菩薩像萱躯,居高六尺五す。細色虚空蔵菩薩像萱躯,居高六尺五す。巳上検行権律師法橋上人位道昌願。Jと記されている。側宋,延一編『広清涼伝』巻上「温湯寺,五王之所造,昔五王子者,不知何代,…,寺内有専塔一所,可高二丈,層給三重,中有慮舎那像,文殊普賢,及余部従鹿不畢具,唐万歳通天中,有僧慈雲,創此安置,…」(大正51-1108中一下)例朴亨園,前掲書,1997年7月仰)朴亨園「七獅子蓮華座の図像についてJ『密教図像』第14号,密教図像学会,1995年12月,34〜60頁朴亨園「統一新羅時代後期の石造毘慮遮那仏坐像に関する研究J『美術史』139号,美術史学会,1996年2月,44〜67頁朴亨園「金剛界大日知来と七獅子蓮華座」『大日如来』(日本の美術374),至文堂,1997年6月,85〜98頁倒朴亨園,前掲書(『密教図像』14号),39〜40頁12 ω 文献記録としては,新羅の率居が断俗寺に維摩像を描いたとする記述があるが,
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