鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
227/759

時の状況を少しでも知ることのできる資料を得るために調査に出向いたわけである。そして彼が同校に在籍していた時の受講料の納付を記録したカード2枚があること〔図2〕,また,当該年次の開講科目と担当教官名を記載した,学生募集のために発行されたプログラムが残されていることを確認できた。この二つの資料を組み合わせることで,北川の在籍年次と,受講科目とその担当教官,そして当時のニューヨークでの住所までが明らかとなった。これらの資料から,北)||が1919年から1921年までの2シーズン在籍していたことが判明した。そして受講科目は,1年目がスローンのくCompo-sition and Illustration>, 2年目が同じくスローンのくLifeand Pictorial Composition>であり,ともに夜間のコースであった。そして彼が当時住んで、いたのはく17Sutton Place> であり,現在も当時のものと思われる建物が残っていることを確認することができた。これらの事実は,従来は漠然としかわからなかった彼のニューヨーク時代を知る初めての客観的な事実であった(注1)。この時の調査は,あくまで北川民次に限定したものであったが,その際,北}|!と同様のカードが,すべての学生に関して原則として各シーズンごとに作成されており,現在も同校に保管されていることがわかった。これらのカードの中から,国吉康雄,清水登之など,同校に学んだ日本人美術家のものを調査することで,各美術家たちの在籍年次や受講科目と担当教官等の情報を得ることが期待できた。それは,これらの美術家研究の基礎となる客観的な事実を彼らの年譜に加えることができるばかりか,各美術家相互の同校での在籍時期の重なりや受講科目の異同などによって,彼らの相互の関係までもが推測できる可能性を示していた。このことの重要性と意義が認められて,今回の助成を受けての調査に至ったわけである。調査の実施にあたっては,1995年の北川民次の調査時と同様に,事前に調査対象とする美術家をできるだけリストアップし,同校に対して彼らに関する資料提供を要請し,関係カード等の資料を閲覧するという方法で進める計画をたてた。そのなかで,特に日本の近代美術史のなかで重要な位置を占めている国吉康雄たちが在籍していたと思われる1910年代の後半期だけについては資料の確実な入手を目標とした。授業料納付記録カード今回の調査は1998年12月に,延べ6日間にわたって実施した。それは,予期したものとはまったく違ったかたちで実施できることとなった。今回の調査を受け入れるに-217-

元のページ  ../index.html#227

このブックを見る