口あたって,同校は我々に対して,保管されている受講料納付の記録カードについて,異例にも全てを直接閲覧することを許可してくれた。また,その他の未発表,未整理資料の閲覧も許可されることとなった。それには,我々の調査の趣旨を理解して最大限の協力を提供する決断をしてくれた同校校長の特別なはからいと,担当司書の全面的な協力によるところが大きい。直接閲覧できることとなったカードは,同校の100年を超える歴史のなかで蓄積されてきたもので,学生の名前をアルフアベット順に整理して倉庫内のロッカーに保管された膨大な数のものであった。我々は,当初の特定の人物名からカードを閲覧するという調査計画を変更し,この恵まれた機会を最大限に活用すべく,調査に出向いた共同研究者3人で総てのカードの中から,1945年以前に在籍した,日本人ならびに日系人のものと思われるカードをもらさずに抽出して学校側にコピーを依頼するという作業を行うこととした。抽出年代を1945年以前と限った理由は,第一に,学校側から資料提供は原則として物故者に限るという条件が事前に提示されていたことがある。そして第二に,第二次世界大戦という大きな歴史的な区切りをもつことで,調査の範囲を明確にすべきと判断したことによる。そして調査期間のほとんどを費やしたカードの抽出作業の結果得られたのが,160人分,延べ334枚のカードである。それを在籍年次順に整理すると〔表l〕となる。これによって,日本人ならびに日系人の同校での在籍状況の全般的な傾向と,各学生の在籍状況を初めて明らかにすることができた。なお,この一括保管されているカードは,必ずしも同ーの記載形式によっていない。大部分は,各学生について,シーズンごとにl枚のカードが作成されて,受講科目と,その受講料と画材を保管しておくロッカー使用料の納付が記録されているものである。ところが,1940年代のものを中心に,複数年の在籍状況が一覧として記録されたカードがあり,この頃から,カードそのものの作成方法が変わったものと思われる。何れにしても,これらのカードには,各学生のシーズンごとの受講科目が,独特の省略形態で記録されていて,在籍期間や受講科目を知る貴重な資料である。プログラムアート・ステューデンツ・リーグでは,各年次のシーズンごとに学生募集のために,そのシーズンの開講科目と担当教官を知らせるプログラムと呼ぶ印刷物を発行してきている。同校のレギュラー・シーズンは,毎年10月頃から始まり,翌年の5月頃までδつω
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