Book)の確認作業がまず行われなければならない。他の資料上記以外の資料としては,<TimeBook)と呼ばれる,各科目の担当教官が授業の際に教室に携えていったと思われる,各シーズンの科目ごとに作成されたハンドブックが相当数残されている。これには毎月の受講学生の名前が記入されている。確認したものは〔表4〕のとおりであるが,残存数にかなりの疎密があり,これも,まだ他に存在する可能性を否定できない。この資料は,各シーズンの科目ごとに,どのような学生が同時期に受講していたかを,各月ごとに知る手がかりとなる可能性のあるものである。また,1940年代に限って,各教官ごとに,担当した科目の受講生を整理した台帳が作成されていたようである。これは国吉康雄についてだけその現物を確認することができたが,彼が教官をしていた時代のうち1940年から1941年に至る各シーズンの,彼が担当した科目の受講生を整理して記載したものであった。つまり教官側から,学生を整理した台帳も一時期ではあるにせよ存在していた。この資料が,各教官についても存在するとすれば,これも今後の研究には貴重な資料となり得るものである。少なくとも,国吉に関するこの台帳は,この期間内に彼に教えを受けた学生の名前がすべてわかるものである。国吉康雄たちの時代今回調査した資料のなかで,受講料納付の記録カードとシーズンごとのプログラムを利用することで,どのようなことを知ることができるかについて,我々が当初の目的としていた1910年代後半の時期に限ってごく簡単に紹介しておきたい。この1910年代後半は,〔表l〕に見るとおり,それまでは,まばらにしか在籍がなかった日本人ならびに日系入学生が急速に増加した時期にあたっている。10人を超える在籍者がいるシーズンもめずらしくなくなっている。この時期の学生で,人物が特定できるものだけを取り上げると,1914年から在籍した安藤邦衛に続いて,1916年のシーズンから国吉康雄が,1917年からは清水登之が加わり,1918年には北川民次,1919年からは稲葉正太郎,石垣栄太郎が在籍して,まさに多士済々の顔ぶれを見ることができる。これら特定可能な者たちの受講科目と担当教官を整理したのが〔表5〕である。国吉は,-220-
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