鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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一貫してケネス・ヘイズ・ミラー(KenethHayes Miller)についており,1年目は,<Mu-ral Painting and Composition>を,2年目以降は奨学金を得て,<LifeDrawing and Paint-ing for Men)を受講している。I年目の科目は,壁画に関する教室のようであるが,2年目以降は,実際にモデルを使つての素描と絵画の教室であり,絵画を学ぶにはオーソドックスな科目に変更している。清水登之は,国吉に遅れることl年,1917年秋からのレギュラー・シーズンでは,午前中は国吉と同じ,ミラーのくLifeDrawing and Painting for Men >を受講し,併せて夜の部で,スローンのくLifeand Composition Class > で学んで、いたことがわかる。この年は午前の部では,国吉と清水は同じミラーの教室で,画架を並べていたことがわかるのである。そして翌年のシーズンでは,午前中はミラーからは離れてジョージ・ベロウズ(GeorgeBellows)の<PortraitPainting>を受講し,夜は,引き続きスローンのくCompositionand Illustration>を受講していることがわかる。この1918年からのシーズンで,スローンが担当した夜間部のくCompositionand Illustration 〉を受講していたのは,以前から同校に在籍していた安藤邦衛と,この年から加わった北川民次もおり,ここでも複数の日本人学生が教室を同じくしていた。1929年からのシーズンでは,北川民次は引き続き夜間部でスローンのくLifeand Pictorical Composition>を,そして,この年の夜間部に追加するかたちで開講された,スローンのくPainting>を,石垣栄太郎と稲葉正太郎が受講している。このスローンによる二つの科目が,同一シーズンの夜間部で,どのようなかたちで開講されていたのかは不明である。ただ,印刷されたプログラムにくPainting>の科目が,手書きで付け加えられているという事実を報告できるにとどまる。何れにしても,この1910年代後半は,日本の近代美術史の上で,独自の位置を占めることになる美術家たちが同校に集い,相互に教官や教室を同じくしたりしながら,互いに刺激しあいながら学んでいたであろうことが,この事実からも容易に浮かび、上がってくるのである。我々が調査で同校を訪れていた時にも,彼らの時代と変わらぬ建物のなかで,多くの日本人学生が各教室で熱心に制作に励み,また一方で,階段や食堂などで生活の悩みを話し合ったり,情報交換をしている光景を目の当たりにすることができた。おそらく彼らも,同じような学生生活をここで送っていたのであろう。おわりに今回の調査は,研究に至る以前の基礎的な資料の閲覧,ならびに確認作業に終始せ-221-

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