鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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注Kuebler)女史のもとで,司書として近年同校に勤務するようになったステファニー・(1)村田真宏「北川民次の絵画ざるを得なかった。その内容の詳細な考察と紹介は別の機会に譲らなければならないが,多くの日本人美術家が学んだ非常に重要な美術学校でありながら,そこにどのような資料が残されているかということさえ知られていなかったという状況のなかでは,まず,同校に保管されている資料の存在を報告することが,何よりも今後の多くの研究に役立つことと考えている。そして,ここでごく簡単に紹介した国吉康雄たちの時代はもちろん,総ての在籍者についてのデータと,それによって得られる知見を総合的に報告し,彼ら同校に学んだ日本人画家たちの今後の研究に対する基礎資料を提供したいと願っている。それには入手した資料の詳細にわたる検討と,今回の調査で確認することができたくYearBook>等の調査も必要でありこの研究を継続していく所存である。今回の調査でアート・ステューデンツ・リーグを訪れるにあたって,アメリカの複数の美術館関係者から,同校の資料を調査できることの幸運を指摘された。それは,彼らにとっても,同校は重要な存在でありながら未知の調査対象であったからなのである。今回,同校の調査を実施してわかったことは,同校が単純に秘密主義をとっていたということではなく,実際には外部に資料を公開できるような体制が整っていなかったというのが真実の理由であろう。同校は,校長ジョアン・クイブラー(Joanneカッシデイー(Stephani巴Cassidy)氏によって,100年を超える歴史を経て,ようやく本格的な資料整理に着手しはじめようとしているところである。このような時期に,将来に向かつて美術研究に貢献することの意義を認識して,今回の調査を前例のないかたちで受け入れることを決断した校長以下,同校関係者の姿勢を高く評価し,また,その惜しみない協力への感謝を述べておきたい。北川民次展実行委員会1996年11〜12頁[附記]今回の調査実施にあたり,阿部幹彦,千田敬一の両氏から資料の提供等を受けました。記して感謝申し上げます。メキシコ時代を中心に」『北川民次展カタログ』222-

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