⑮ 明代中期正徳におけるアラビア文字文青花についての一考察一ーその生産背景と景徳鎮窯業における位置一一研究者:根津美術館客員研究員佐藤サアラ1.はじめに明時代を代表する窯である景徳鎮には,宮廷用命の御用磁器を焼造する官窯というものがあった(注1)。明代における官窯の成立時期については諸説があるが,宣徳年間(1426-35)以来,官窯製品には宮廷御用を意味する皇帝款年製銘が習慣的に入れられるようになる(注2)。銘が官用を示すと同時に,官窯製品には器面を飾る装飾にも,民窯製品とは区別される官様式があった。銘が習慣化する以前は,官様式の区別は装飾文様に依るところが大きく,元時代に御用の文様と定められていた五爪龍文はその表象の一つである。官様式としての五爪龍文は,明代にも受け継がれたが,それを示す明代初期の資料は限られている。明代最初期の洪武(136898)では,洪武宮社から出土した磁器片の中に五爪龍文の盤が含まれτいた。つづく永楽(1403-24)では,官窯祉出土品に見られる龍文は五爪であるが,中近東にむけて輸出された青花には三爪が用いられているので,龍丈による官様式の区別の意識があったと考えられる。宣徳になると,官窯製品には五爪龍文が皇帝款銘と併せて使用されるようになっていく。本稿において正徳(1506-21)という時代に注目するのは,官窯製品にそれまでと様相を異にする現象が見られるからである。第一に,アラビア文字を装飾文様に用いた青花磁器は,正徳一代に限られていて,前後の時代には見ることができない。そのため,これが正徳時代の特徴的製品であるということは言われているが,どのような位置付けをしうるかについては論じられていない。元時代に生産の始まった青花は,まず貿易陶磁として性格づけられるもので,その重要な輸出市場として中近東諸国があった。そのため中近東との影響関係ぬきには語ることはできない。実際数々の元末明初の優品が,イスタンブールのトプカプ宮殿やイランのアルデビル廟をはじめとする中近東に遺されており,それら初期の青花には,装飾意匠や器形に中近東を意識したものが多い。しかしながら,そうした中近東と関連の深い青花に,アラビア文字が装飾文様として用いられたことは,正徳にいたるまでなかった。アラビア文字は,中近東においては重要な装飾文様であり,建築から金属器,陶器とさまざまなものに用いられている。中近東を市場として意識したとき,青花はイスラーム金属器の器形を模248
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