2-(2) 六字款銘への着目られている。世界各地の美術館に所蔵されているアラビア文字文の作品は,器種・作行きから考えて恐らく中国囲内から流出したものと想像される。それに対しトプカプ宮殿とアルデビル廟の所蔵品は,当時から中近東にまとまって伝世したものである。ここで,文房具のたぐいが中近東の二大コレクションには含まれていないことに注目される。また,中近東所在のものは碗・盤の類で,「大明正徳年製j「正徳年造jなど様々の銘及び精粗両方の作行きがあるのに対し,文房具は六字銘でいずれも優品である。これまで輸出品としての存在意義の大きかった青花であるが,こうした文房具は,中近東の装飾様式そのもので器面を飾りながらも,恐らく囲内需要に応じて作られたものである。一方中近東のコレクションに含まれているものは,大盤や碗という元・明初期以来の中近東輸出用の器種からして,生産当初から輸出を目的としたものであり,正徳期のアラビア文字文の製品には,圏内用と輸出用の両方があったと考えられる。国内用の文房具は,銘から判断すると,嘉靖銘の方盆を例外として正徳以降には作られていない。輸出品に関しては,正徳以後は景徳鎮では焼かれなくなるが,16世紀後半から17世紀中頃を生産時期とする呉須手(注4)で焼かれている。アラビア文字文を持った製品は正徳以後景徳鎮では生産されなくなってゆくが,南方の民窯ではその優品を真似て海外向けの焼造を行っていたということになる。では,アラビア文字を青花の装飾意匠に用いるという発想は,どのような経緯で現われたのか。そのことを考えるにあたり,これらの作品群に付された銘の規則性に注目した。正徳アラビア文字文製品にはきまって六字銘が記されるが,官窯土止出土品から確かめられる同時期の官窯製品は四字銘が大半である。そして,この時期アラピア文字文製品以外で六字銘を記すのは,元末・明初以来,青花のみならず様々な五彩技法で受け継がれている伝統的な官様文様の一群である。この伝統官様の製品に関しては,正徳においてもなぜか六字銘である。官窯社出土の製品がわずかの例外を除き四字銘である正徳において,六字銘を付したものに規則性が見い出されるということは,四字銘とは一線を画す何らかの意図があったと考えられる。③ アラビア文字文装飾の作品に,優品と粗品の二タイプがある。250
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