鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ラピア文字文青花の意匠は,この展開に大きく寄与していると思われる。[丸紋と上下縦列紋の交互配置]資料[後期民様意匠への影響]参照〔資料一図1〕と〔資料一図2〕は正徳に国交を聞いたポルトガル向けの景徳鎮民窯輸出品である。これらの作品には,上述のような元青花の写しはもはや全く見られない。ここに見られる丸紋と上下縦列丈の交互配置という新しい意匠は,こののち嘉靖民窯に定着してゆくものであるが,その発想、はアラビア文字文製品に得ている。上下縦列の文様は,六字銘の上手製品の蓮華折枝風のもの〔資料図3〕や霊芝雲風のもの〔資料一図4〕から,輸出手の粗略化〔資料一図5〕,装飾化〔資料図6〕を経て,嘉靖〔資料図7〕に到るものと考えられる。[呉須手への影響]景徳鎮では意匠法のみが残り,アラビア文字自体は装飾から姿を消すが,景徳鎮を模倣した17世紀の輸出品である呉須手ではアラビア文字も継承されている。〔図22〕の呉須手のように,トプカプ所蔵の景徳鎮のアラビア文字文のものとは異なる極めて簡略な輸出意匠を作っている。景徳鎮の製品では,記されたアラビア文字は解読可能な意味をなすものであったが,呉須手では不完全な筆記の意味不明のものとなり,単なる装飾意匠のーっとなっている。正徳に先立ち貿易品として流出した民窯青花には元青花の模倣が見られるが,やがて元青花の写しから抜け出した,新たな様式が芽生えてくる。量産に対処しうる規則性のある絵付けが求められた結果であろう。正徳において宣官の要請に応じて作られたと考えられるアラビア文字文の青花の装飾意匠は,そうした規則性の基盤を与えるものとなった。御器とは一線を画して官用に作られたアラピア文字文装飾青花は,官用としては正徳一代で消滅するが,大量輸出の時代である明代後期に向けて,貿易陶磁としての青花に新たな糸口を与えたといえる。6.結びこのように,正徳期のアラビア文字文青花と古典的な官様を踏襲した作品に共通する六字の皇帝款銘に着目することによって,正徳・嘉靖を境とする景徳鎮の管理体制の変化を見てきた。そこでわかるのは,アラビア文字文装飾の青花の生産に,イスラーム系宜官の存在が大きな力をもっていたということである。明代の景徳鎮陶磁の研究は,官窯成立前後の初期の様相や,民窯様式が大きく展開255

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