鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
287/759

⑫ ブルーノ・タウ卜の亡命期の建築について一一アンカラ大学文学部校舎を中心に一一研究者:武蔵野美術大学非常勤講師沢1.研究内容及び調査対象この調査研究は,多岐にわたるこれまでのタウト研究のなかで,日本及びトルコにおける5年半に及ぶ亡命期の建築作品が,ほとんど言及されていない状況から出発したものである。両国における建築作品が研究対象として取り上げられなかったことの理由としては,日本においては建築作品の少なさという事情があげられるが,その他には作品の評価の低さという点が両国に共通してあげられる。しかしこの時期の作品を考察することは,建築家タウトの活動全体を明らかにするうえで不可欠な作業であると同時に,モダニズム再考が叫ばれる今日の建築状況に重要な意味を示唆するものと考える。この研究目的から,日本における唯一の現存作品である熱海の旧日向別邸についてはすでに別所で調査報告した(注1)。今回の助成によって調査対象とした作品は,トルコにおける次の作品である。アンカラ大学文学部棟1937-1940 アンカラ〔図l〕〔図2〕タウトはトルコ滞在中に,実施あるいは計画を含めて約20件の建築に関わったことが確認されている。この建築物はトルコ到着後の最初の作品であり,設計経緯及び規模において重要な作品であると判断し,今回の調査対象として選択した。く設計経緯〉アンカラ大学の建設は,ケマル・アタチユルクの共和国政権下で進められた近代化政策のひとつであり,1930年代の大建設計画のひとつでもあった。タウトは1936年11月10日にトルコに到着した。この時すでに文部省建築局によって大学建設計画は進められており,タウトの任務は前任者の計画を実施し完成に導くことと,必要があれば設計に手を入れることに限られていた。しかし翌年1937年1月9日,文学部棟に関する前任者の計画が白紙撤回され,新たな設計がタウトに委任された。以後の経緯は次の通りである。2.研究成果一アンカラ大学文学部棟について良子-277-

元のページ  ../index.html#287

このブックを見る