鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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(1) 建物正面から裏側(中庭側)に直結する階段通路がホールに続き,ホール→階段1937年2月15日設計計画案提出同年の夏のうちにディテールの検討終了1937年11月起工1940年11月竣工(注2)タウトは起工から約一年後の1938年12月24日に死去した。そのためこの建築へのタウトの関与が,どこまでであったかについての疑問が残されていた。しかし当時タウトの協力者としてともに設計作業を手がけたフランツ・ヒリンガーの書簡(1939年4月16日付け)によって,タウトは他界する以前にこの建物に関する300を超える詳細図を描いていたこと,その図面の存在によって,タウトの死後も建設作業は支障なく進められたことが明らかになった(注3)。ゆえに現在は,建築全体がタウトの計画によるものと判断されている。〈建物概要〉文学部棟は,アンカラ市の中心街を南北に走る中央通りアタチュルク通りと,東西に走る幹線道路ージェラル・ベイアル通りの交差点に隣接する敷地に,南北に延びるブロックによって構成されている。鉄筋コンクリート造6階建て,建物全体は,事務所,講義室,3つの階段室からなり,I階エントランスホールをはさんで講堂部分が連結されている〔図3〕。正面(アタチユルク通り側)は自然石化粧仕上げ,背面は吹き付け塗装仕上げ,一部漆喰仕上げ。〈調査の報告〉a.エントランスホールと建物との関係について出入口は小さなホールとなっている。これは人溜まりの場としてではなく,人を階段室の方向に振り分ける,もしくは出口として速やかに人を送り出す流れを作り出す場として計画されたためと考えられる。流れは次の3つである。→裏側の講義室棟入り口との聞の流れがつくられている。(2) ホール右側にはガラス扉で仕切られた講堂ホワイエがつながり,ホールとのレベル差のないホワイエは人の溜まりを吸収しつつ階段によって2階事務所及び講義室-278-

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