鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ハUCO (1) 自然石仕上げの正面らなかったため,1930年代のタウトの建築理念が実現された初めての作品と判断できる。なお1930年代のタウトの建築理念が,日本の日向邸に一部実現されていることについては別所で報告したが(注5),断崖に土止めとして打たれた鉄筋コンクリートの足場内部を改造したこの作品は,外観のない室内のみの改造工事であるため外観を含めた判断ではない。b.仕上げ材と表現について次にこの建物に用いられている仕上げ材に注目し,いくつかの表現について報告する。建物正面の自然石仕上げは,コンクリート造の建物に煉瓦や自然石仕上げのファサードを追求すべきではないと,当時批判を受けた表現である(注6)。しかしこの仕上げは,アタチユルク通りに連なる丈化施設ー一一北側に隣接する薄紅色のイスメト・パシヤ・インステイチュート,薄紅色のオペラ座,淡い黄色の民族学博物館,絵画彫刻美術館などーーのなかで,石の素材そのままであることによって対照的に存在を際立たせる効果を果たしている。また上記の諸文化施設が,絵画彫刻美術館のネオ・ルネッサンス様式を除いてすべて箱形の建築物であるなかで,外観が円弧を中心に構成されていることによっても,強い印象が作り出されている。タウトが当時歴史主義への回帰とも批判された自然石による仕上げに建物の外観を委ねたことの意味は,見るものに自ずと建物の視覚的中心を意識させるこの円弧を取り入れた表現と不可分に結びっくものと考えられる。まず通り側の壁面全体は,円弧から流れ出るかのように南北に水平方向の伸びを示している。しかしその流れは,機能ごとにまとめられた区割が,わずかに奥められることで分節されている。この分節が円弧のラインと矩形がもっ水平垂直との緊張関係をより明確に浮かび、あがらせ,特徴的な壁面が構成されているのである。円弧と水平垂直とを組み合わせる以上の表現は,タウトがトルコにおいて賞賛したイスラム寺院の造形要素を範とした可能性が考えられる。タウトは遺稿『建築芸術論』において,6世紀のピザンティン建築アギア・ソフィアを,4本のミナレットを付加することだけによって,新たなイスラム寺院の形態へと展開させた建築家シナンの功績を高く評価している(注7)。アギア・ソフィアの完成された形態は,壁面とドーム

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