鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
294/759

いずれも展覧会カタログFiir Atatiirk gedacht, Istanbul, 1997 に収録。本への好奇的感情が残されていること,(中略)を感じて淋しい気持ちがしたのであった。(中略)熱海に作られた他の作品H氏邸(日向邸:筆者)は私は見て居ないが,少数の写真によってその片影を見た限りでは矢張り同じことが云ひ得ると思ふJとある。〈謝辞〉今回の調査にあたり,MilliReasiirans Sanat Galerisi (イスタンブール)の学芸員Ame-Bernd Nicolai,“Bruno Tauts Akademi巴reformund sein Weg zu巴inerneuen Architek-tur fiir die Tiirkei.” Manfred Speidel,“Bruno Taut Wirken und Wirkung. (3) Manfred Speidel 向上,p.57(4) ベルント・ニコライ「新しいタウト,新しいトルコ一一一近代建築の変様1936-38年Jp.320, M.シュパイデル編著『フゃルーノ・タウト1880 1938,jセゾン美術館1994 (5) (1)に同じ。(6) (4)に同じ。(7) ブルーノ・タウト,篠田英雄訳『建築芸術論』岩波書店1976 pp.60-61 (8) (4)に同じ。(9) (4)及び斎藤寅雄「タウト氏の建築を見る一東京の0氏邸」『国際建築』1936年12月p.454に,「正直なところ私はタウト氏の透徹した日本観にも尚ほ幾何の単なる日(10) Bruno Taut, Die Neue Baukunst in Europa und Amerika, Stuttgart, 1929, p. 67. (Reprint, B巴rlin,1979.) lie Ed掛から多大な協力を得た。284

元のページ  ../index.html#294

このブックを見る