qJ 1王(1) 藤原行光に触れた主要な研究としては,以下のものが挙げられる。谷信一「藤原跡−J (『仏教芸術』36,昭和33年),宮島新一「十四世紀における絵所預の系譜」(2) 木村徳衛『土佐文書解説』(昭和10年)(3)梅津次郎氏前掲(注1)論文,相津正彦氏前掲(注1)『土佐光信J(4) 三田村雅子氏は,『看聞日記』に記される,貞成親王と後花園天皇の父子聞の絵画・おわりに以上のように,「泰衡征伐絵」をめぐって,『看聞日記』に記された絵と詞の筆者と所蔵者,『康富記』・『綱光公記』に記された絵巻の内容,さらに『後深心院関白記』に記された制作背景を総合して考察した結果,これが土佐派の祖,藤原行光の記録上確かめ得る最も初期の作例であることが新たに判明した。同時に行光がその最初期から足利将軍家の極めて政治的な目的を持った作品の制作に関与していたこと,さらに醍醐寺三宝院賢俊との関係が明確となった。こうした足利将軍家や醍醐寺との関係は,その後の初期土佐派の活動基盤として受け継がれていくこととなる。こうした意味で藤原行光の描いた「泰衡征伐絵jは,室町時代土佐派の出発点ともいうべき作例であったと位置付けることが出来るであろう。行光考」(『美術研究』87,昭和14年),谷信一「土佐光信考(上)(中)(下)」(『美術研究』100・101・103,昭和15年)梅j幸次郎「二組の十王図一行光と光信の画(『美術史』88,昭和48年),吉田友之『土佐光信』(『日本美術絵画全集J5,集英社,昭和54年),宮島新一『土佐光信と土佐派の系譜』(『日本の美術』247,至文堂,昭和61年),相沢正彦「室町やまと絵師の系譜」(『日本美術全集J12,講談社,平成4年),宮島新一『宮廷画壇史の研究』(至文堂,平成8年),相沢正彦『土佐光信J(『新潮日本美術文庫J2,新潮社,平成10年)書物の交換に三つのピークがあることを指摘している。第一期は同天皇即位直後の永享4年(1432)前半で十一歳で即位した天皇の帝王教育の意味があり,第二期は永享5年(1433)6月から7月にかけての時期で後小松院の病気に伴う天皇家の財産の後花園天皇への移譲を示し,第三期は永享10年(1438)4月から嘉吉元年(1441)6月にかけての時期で室町将軍家のコレクションの獲得を示す。このような『看開日記』に記された絵画の移動は後小松天皇系の断絶と伏見宮家
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