⑫ ニコラ・フ。ッサン作〈サテュ口スに跨がるニンフ〉(カッセル州立絵函館蔵)について研究者:横浜美術館学芸員新畑泰秀ニコラ・プッサン(NicolasPoussin, 1594 1665)が1624年にローマに辿り着いた時,すでに齢は30歳をむかえていたが,画家はいまだ種々多様な様式を吸収する能力を備えていた。ただし彼は単なる折衷主義者ではなく,むしろ慎重に自己を練り上げるために,偏見と先入観なく過去と現在の作品を研究した。その結果彼の絵画様式は1630年代半ばまで目まぐるしく変化しつづけたが,その中から独自の様式が抽出されていった。筆者はこれまでプッサンの1630年代の神話画を軸に考察を続けて来たが(注1) ' 今回は,おそらく同様の意図を持って継続的に制作されたと考えられる官能的な情景が比較的小型・縦型の画布に描かれた一連の作品のうち,カッセル絵画館の所蔵になる〈サテュロスに跨がるニンフ〉〔図1〕(Bl98/T44)(注2)と呼ばれる作品について考察するものである。プッサンの初期絵画様式は,かつてデニス・マーンが分類したように,概ね3つの段階に分けられる(注3)。すなわち第一段階は1624-27年。古典主義的な様相を示し,古代のレリーフを感じさせる姿態と構図,感情表現にドメニキーノの影響が感じられる。しかしこの頃の絵画は実験的であり,いまだ構図に対する明確なイデアは持ち合わせず,人体比率,遠近法などの試行錯誤が繰り返される(たとえば〈アマレク人に勝利するヨシュア}B29/Tl7)。第二段階は1628-30年。画家はベルニーニ,コルトーナらによる言語を学び,大型の作品に挑む。第一段階とは対照的に色彩と照明のために,個々の形態を犠牲にして構図を練り上げ,画家の生涯で、唯一バロックに傾倒した時期である(〈聖エラスムスの殉教}B97/T69)。第三段階は163133年。アンドレア・サツキの影響のもと,古典主義へと回帰しはじめる。ヴェネツイア派の色彩を意識しながらも極端な光と閣の対照や鮮明な色彩を避け,黄金色を基調とする全体のリズム感を重視した調和的な構図で,動的であるより優雅さに重きが置かれる(〈フローラの王国〉Bl55/T84)。その後1640年にパリに帰郷するまでの聞は,緩やかに第三段階の様式が究められていく。今度は自分の眼で直接ラフアエロやジュリオ・ロマーノに倣い,輪郭線はよりシャープに,色彩はより洗練され,人物のフォルムはより堅固になり,構図はより厳密に構成される。作品の完成度が高められるにつれ,17世紀が求めるものあるいは自己の気質にあった古典主義様式が完成される。
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