第三段階以降の様式展開を支えた一つの要因としては,画家の制作環境における彼を取り巻く知的集団の精神的鼓舞が考えられるが,中でもフランチェスコ・パルベリーニの秘書官カッシアーノ・ダル・ポツツォーの影響があったことは周知の通りである。ポッツォーの科学と自然史,そして何よりも考古学的探求と古代の研究への関心がプッサンを啓発し,古代の技法の細心極まる観察が彼の方向性を定める契機となった。さらにポッツォーはヴイラ・アルドプランデイーニとルドヴィシ・コレクションのペリーニ作品とテイツイアーノ作品にプッサンを導いており,その光や色彩に,一種霊的な意味を与えるよう勧めたのも彼であったという。無論ポッツォーのみに画家の霊感源の全てを求めるのは危険だとしても,プッサンの初期ローマ時代の絵画様式を決定する主要な要素がその関係に集約されているのは事実である。すなわち一方で子細な自然観察,古代の芸術と文学,他方でヴェネツィア絵画の暖かい色彩,詩的・官能的な雰囲気である(注4)。プッサンの1630年前後の作品群はまさにこの二つの側面を反映しており,これをイヴ・ボンヌフォワは,この時代のプッサンの絵画に常に存在するこつの基本的構成要素と見ている。すなわち「ある気質の自発的で非合理的で一部無意識的な表現」と「強固に理論武装した一個の意志がこの気質に対して発揮しようとする常に明断な拘束力」である(注5)。1630年代初頭の作品は,つまるところこれら二つを共存させるための画家の葛藤の時期であったと言えるかもしれない。ヴェネツィア派の官能的表現に,自己の内部に潜む感覚の共通性を見出したプッサンは,豊穣極まる夢想的な世界に身を委ねることを潔しとする心境に至った。プッサンがしばしば酒神バッカスを中心とした数多くの官能的な主題を選び出したのは,こうした理由によるものであろう。中には「ウェヌスを襲うサテュロス」のような,古代のレリーフあるいはカラッチの版画に見られる,あからさまに官能的な主題を扱ったものもある。これはまさにプッサンの理性が手懐けることの出来なかった,画家の内にある人格が生み出させたものにほかならない(注6)。当時のローマの美術市場の様相もここで理解しておく必要があろう。この頃,国際的中心地として機能していたローマは,外国人の流入により美術市場が活性化した。絵画は新たな芸術愛好家,時に教養人に蒐集される一方で,彼らによって自由に内外で売買され,欧州各地への作品の拡散を促した。結果注文主は必然的にプッサンにある種の絵市民的な諾語を装う愛の寓話や道徳的物語でディレッタントの用途に
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