円ぺUウi適うような小型のタブロ一一ーを要求した。これはつまり牧歌的,官能的な幻想、や寓話的な主題を好んだ画家の曙好と合致するものであった(注7)。今回対象とする〈サテュロスに跨がるニンフ〉はそういった傾向を示す作品のlつである(注8)。油彩で画布に描かれた縦96.5cm,横75.5cmの小型のタブローであり,現在はカッセル絵画館に所蔵されている。画面には半裸のニンフが行先を指し示しながら膝をついているサテュロスの肩に乗ろうとしており,愛らしいプットーが先に立ち,もう一人がニンフを後押しし,身をかがめて食料の龍を背負う顎嶺を生やしたサテュロスと思しき人物が遊山の場所を探し求めているような牧歌的情景が華やかな雰囲気の内に描かれている。現存する確実な文献の中にこれがはじめてあらわれるのは,1749年,ヘッセン州のヴイルヘルム方伯(1682-1760)の所蔵目録への記載であるが,それによるとロッテルダムのウイリスのコルネリス・ウイッテルト・ファン・ファルケンブルク(Comelis Wittert Van Valkenburg)の1731年4月2日の売り立てを経て入手されたと言う(注9)。さらに来歴を遡り,17世紀末のアントウェルベンの二つのコレクシヨン,アレキサンダー・フート(AlexanderVoet)の1689年の所蔵品目録と,ジャン=パテイスト・アントワーヌ(JeanBaptiste Anthoine)の1691年の所蔵品目録中にある,「フ。ツサンによる女を背負うサテュロス」とある絵がこれに当たるかもしれない,との指摘があるが,今のところそれを裏付ける証拠はない(注10)。また,ジョヴァンニ・ピエトロ・ベローリ,アンドレ・フェリビアンら初期伝記作家は,本作品について触れておらず,彼ら以外の著者によるいかなる初期文献にも,この作品は語られていなし、。作品の帰属については,画家の主たる研究者たち,すなわちフリートレンダー,グラウトフ,マーニユ,テュイリエ,マーン,ブラント,オーバーフーパーらは真筆と認めているが,ドリス・ヴイルトのみがこれを疑問視し,通常画家の作品と認められるロンドンの〈バッカスの養育}(Bl33/T52),メトロポリタン美術館の〈パクトロス河で身体を洗うミダス王}(Bl65/T47)などとともに,「パッカナーレの画家(M巴isterder Bacchanale) Jによる作品だという見解を示している。制作時期については,文献的裏付けが無いため,これまで研究者たちによって複雑な初期絵画様式を己の鑑識眼を頼りに編年的に並べる作業の中で年代が推定されてきた。グラウトフは1632-36年,プラントは1635年頃,マーンは1630年頃,オーバーフーパーは1629年頃,そしてテュイリエは1626-27年頃としている。われわれが様式展開に
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