鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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らも,もはやヴィーナスの誘惑に抗うことが出来ない様が滑稽に描かれており,〈サテュロスに跨がるニンフ〉はこの雰囲気がより即興的に描かれたものであると彼は言う(注15)。一方でこれらと見解を異にしたのがエリカ・サイモンである。すなわち場面は笛の名手であるサテュロスのマルシュアスとともにいるキュベレと解したのだ。キュベレが古代フリュギアの地母神で小塔のある市壁を象った冠と筋,球体をアトリビュートとする,という点においてこれは興味深い指摘であり,また関連作品プーシキン美術館の〈ニンフと酒を飲むサテュロス)(B200/T45b)の女がキュベレのもう一つのアトリビ、ユートに関係する球を持っていることは注目に値する。ただしこの女神の最大のアトリビュートである獅子が見当たらないのが気懸かりである(注16)。研究者の中で明確に図像的源泉を示したのはフリートレンダーであった。彼はこうした異教の風俗的情景,すなわち山羊に跨がるニンフとか,坐って酒を飲む一群の人物といった情景は,もともと古代のカメオや宝玉類に彫られていたものであると言い,アンニパレ・カラッチがファルネーゼ宮の小部屋に描いた遊楽の場面も同様な源泉から得られたものであると指摘した(注17)。しかしプッサンが1630年代に実際に自らの作品の図像的源泉としたのは,むしろ古代の石棺のレリーフや前世紀の図像,特に版画であろう。それはすなわちベローリが伝える,ローマへ旅立つ前にパリでクールトワの所蔵になるラファエロとジュリオ・ロマーノの版画を研究したこと,あるいはプッサンの死後アトリエに残された画家自身の1,300点におよぶライモンデイ,カラッチ一族,ロマーノら前世紀の版画コレクシヨンの存在が伝えられているのがその傍証となっている(注18)。したがって〈サテュロスに跨がるニンフ〉においても視覚的源泉としてこうした先行図像を確認しておくことがここでも不可欠だと考える(注19)。先に触れたように1630年頃のプッサンは,古典主義を標梼する方向に向かう一方で,牧歌的・官能的な幻想、や寓話的な主題を志向する作品を制作し続ける。この種の先行する図像として思い起こされるのは,やはり16世紀の版画家たちが制作した,あからさまにエロティックな内容を包含する神々の愛を扱った神話主題である。これらの最も有名な例はライモンデイの1524年の連作であり,あるいはさらに度を増したアゴスティーノ・カラッチが1580年代に制作した「淫狼」の連作であろう。いずれも不道徳さゆえ教皇たちの逆鱗に触れたこれら作品が,テイツイアーノの奔放な神々の愛を調った作品と共通した古典古代の一主題を復活させた作品の一環として制作された一方-320-

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