鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
331/759

で,ルネサンス人がより直接的な理由でこれらを積極的に享受した環境は,プッサンの状況のそれと共通するものであった(注20)。この観点から〈サテュロスに跨がるニンフ〉と同様な主題を求めると,ライモンデイの〈ニンフとサテュロス〉〔図5〕(注21)がまずその対象として挙げられるだろう。しかし両者を見比べてみると,ライモンデイの作品が掠奪の緊張した情景を感じさせるのに対し,プッサンのそれは登場人物が多く,より牧歌的な道行きの風景である。神話主題において人が背負われている図像はおそらく稀な例だと思われるが,サテュロスの関係する「シレノスの凱旋jとして知られる図像においては,古代のレリーフあるいはマンテーニャ〔図6〕(注22)やライモンディ〔図7〕(注23)の作品に見られるように,行進に加わる一行としてしばしばこの姿が見出される。そしてこれを独立されたサテュロスが人を背に負う単独図像は古代〔図8〕(注24)にも,ライモンデイにも見出すことが出来る〔図9〕(注25)。プッサンの〈サテュロスに跨がるニンフ〉の図像は,多分この伝統に連なるものではないかと考えられる。一方で作品に表された家族的な情景は,もうひとつの一般的主題「サテュロスの家族」が融合した結果とも考えられる。プッサンと同郷のニコラ・シャプロン(NicolasChapron, 1612 1656)が版刻したシレノスに随行する家族を思わせる一行のイメージが同時代にあることを参考までに挙げておく〔図10〕。ドレスデンの〈フローラの王国〉がオヴイデイウスの物語に寓意を込めた例に見られるように,1630年頃のプッサンの神話主題はより深淵な内容を包含している可能性が高く,〈サテュロスに跨がるニンフ〉にもさらに深い意味が偽装されている可能性があるが,基本的にその主題はその後の時代を通して展開するパッカナーレと共通の,生の喜びの享受であろうと思われる。〈サテュロスに跨がるニンフ〉にいくつもの模作が伝わっている事実はすでに上述した通りであるが,フリートレンダーがあるいは模作もプッサンによるヴアリアントである可能性を示唆するように,この作品は濡酒な雰囲気と小型であるゆえ,後世プッサンの作品の中で特異な賞賛を受けたに違いない。これはさらにヴァトーやブーシェ,そしてフラゴナールなど,18世紀のフランス絵画を予告していることはしばしば指摘されてきた(注26)。1630年代を通して練り上げられていくプッサンの古典主義が,ヴエルフリンが言うように,ラファエロに倣いつつもそれとは一線を画した17世紀の古典主義として成立し得たのは,ある意味でラファエロとは対照的な,自己に内在するテイツィアーノ,あるいはアンニパレ・カラッチ的な官能的享楽の感覚を不可避なも321

元のページ  ../index.html#331

このブックを見る