⑫ 誰ケ袖図扉風の成立と展開に関する試論研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程杉原篤子はじめに「誰ケ袖図扉風」は江戸時代初期に流行した装飾的扉風絵である。衣桁や扉風に華麗な衣装を掛け並べた情景を描き,調度性が強い。初期風俗画の多様な画題の中にあって,この様な人物不在の静物画的画題は,異彩を放つ。風俗画史においては,「洛中洛外図」を幅矢とする巨視的視点から次第に単独像,あるいは数人の遊楽図という細部的視点へ画題が分化すると見る段階的展開論が唱えられている。その中で本画題の位置付けは,後半期(おそらく寛永期(1624〜44)以降)に成立,流行したと考えられている。また寛文期(1661〜73)以降盛んに刊行された小袖雛型本の中には,衣桁に掛けた小袖図が若干見られる。初期の『女かがみ』(慶安5(1652))『女諸札集』(万治3(1660)) 『四季模様諸札絵鑑』(天和年間(1681〜84))などに見られる図(注1)と「誰ケ袖図」とが関連する可能性から,成立,制作時期を寛氷期以降,寛文期以前とする見解は支持されてきたものと思われる。しかし,元和期(1615〜24)の文献に「衣桁画」という記述があることが既に知られている(注2)。最近また慶長17年(1612)十月二十七日条の『義演准后日記Jに「衣桁扉風進上重宝」とあることが指摘された(注3)。このことから考えられるのは,室内に衣桁を立てて衣装を装飾的に用いることが一般的に行われていた当時,これらの記述が「誰ケ袖図」作品を指す可能性は高く,この画題は名称から連想される和歌見立て絵的要素よりは,実際の「衣桁飾りjの代替品,という機能的用途の側面が強いこと(注4),成立は寛永期以前に遡り,少なくとも慶長(1596〜1615)後半期にまでヲ|き上げて考えられることである。となると,画題成立の過程も,従来の邸内遊楽園,婦女遊楽図から人物だけを消去したという様な単純な図式的見解は今一度検討するべきではないだろうか。しかしながら,画面には遊里のつややかな雰囲気が感じられ,華麗な衣装からは遊女達の艶めかしい匂いが漂ってくる様で,これらの扉風が制作された環境や鑑賞された場が遊里や遊女と無縁ではないと想像させる。また「誰ケ袖」という名称の由来が,何時頃から始まるのか不明で、はあるが,『古今和歌集』の歌絵という,中世の文学的意-329-
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