鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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(C) 総金地を背景とし,衣桁に掛けられた各種の小袖の意匠が中核モチーフとなるから人物を消去した趣の作例。もの。いわばく純粋な〉「誰ケ袖図J。の三種に大別できる。先に示した「誰ケ袖図扉風J作例群をこの3つの区分に従って分けると,Aグループは(1)(2)〔図1'2〕oBグループの室内光景をパックにしたものは(3)(4) (5)〔図3〜5〕。総金地のCグループは(6)(7) (8) (9)同(11)(12) (13)同〔図6〜12〕である。そして作品(15)(16)〔図13,14〕間同は,BグループとCグループの特徴を折衷した形で,中間に位置付けられる。ところでBとCを分けたけれども,その基本的な画面構成は同じで,相違は背景の有無でしかない。おそらく大部分の作品はB・Cグループに分類されると思われる。これに対して,Aグループの2点は他のグループとは全く異なった画面構成を示し,共通点を持たない。そこで,B・Cグループの図様を,定型的図様と呼びたい。ここで問題となるのが,A,B, Cのどの図様が先に成立したのかである。単純に考えて,またこれまでの一般的解釈では,遊女の部屋の中に多くの衣装が衣桁に掛けられて並んで、いる光景から次第にクローズアップして着物の美しさだけを描いた一一つまり,A:B・Cという過程が想定されよう。しかし一部には,より造形的なCから始まって,遊女は合理的解釈による付け添えだ,という意見も存在する。いずれにしても,時間的な差はそれほど大きくない様に思われ,順序を図式的に捉えることの意味を問われるかもしれない。しかし,この画題の本質的部分を理解する為には,後からの意味の付加や変化を受けない作品を抽出することがまず必要で、はないだろうか。結論から先に述べると,筆者は今のところB,C, Aの順序で図様が成立したのではないかと考えている。ところが,ここにAグループ作品の制作年代が慶長期に遡るか,寛永期に落ち着くのかという問題があり,最近,作者を長谷川等学とその周辺と見る見解を山根有三氏が提示された(注5)。Aグループ「誰ケ袖美人図」は従来から,長谷川派の関与が示唆されていたが,ここに具体的な画家の姿が浮かび、上がってきたわけで、ある。ただ,長谷川派の風俗画制作の解明はまだ端著についたばかりなので,山根氏により,同じ作者とされた京都国立博物館蔵の「阿国歌舞伎図扉風」などと共に注目しながら慎重に今後検討したい。332

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